1月に中国の武漢市が都市封鎖されるという驚きのニュースを目にしてから、新型コロナウイルスをめぐる報道や情報を追い続けています。
今回のウイルス流行はこと日本においては、すでに健康上の被害・損害よりも社会・経済的な損害の方が大きく上回りそうです。前者は今後も感染が拡大するにしても、言葉は悪いですがたかが知れています。けれど後者については、どれだけの規模になるのかいまだに見当が付きません。
ネットなどでは政権批判の文脈で「国民の命より経済を優先するのか!」みたいな煽り文句をよく目にします。けれど仮にコロナ不況みたいなのが到来したら、倒産や失業が相次ぎ、それが結果的にウイルスそのものよりも国民の健康にダメージを与えるかもしれません。いや、今のままだときっとそうなります。
感染症に対して「正しく怖れる」ということが言われます。今回の新型コロナウイルスは感染と発症にかなりズレのある「見えない感染症」として厄介な面があるのは確かです。けれど致死率は今のところかなり低いと見られており、特に低リスクの人にとっては基本的に命を脅かすようなものではありません。
「正しく怖れる」というのは難しいところです。ならば我々は、「本当に怖れるべきものは何なのか?」と問うべきではないでしょうか。
なお大震災に伴う福島原発事故の後も、「危険か、安全か」をめぐって世論の分断みたいなものを目にしました。今回もまた同じような対立が国内に生じつつあるのは、残念です。私は安全派を気取るわけではありませんが、自分にとって合理的と思うポジションを取ると、今の日本では圧倒的に「安全厨」になってしまうのですよねぇ。