「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という格言があります。論語に出てくる言葉だそうです。
若い頃はこの言葉、正直ピンと来ませんでした。せっかく真理にたどり着いてもそれを活かすことなく死んでしまっては意味がなかろう、みたいに考えていたんですね。それが今では、自分自身がそうした心境を持つようになりました。成長なのかどうかわかりませんが、我ながら興味深い変化ではあります。
さて私にとって「道」に当たるのは今のところ、スピリチュアルなことに関わる謎をすっきり説明してくれる原理ということになりましょうか。魂とかスピリチュアルに関していろんな不思議な現象がある、というのはわかっているのですがその謎について自分なりに納得できたなら、すぐにでも死んで構わないという心境なんです。
死んでもいい、というのは投げやりに聞こえるかもしれません。けれど一人の私がそれを十分に理解することは、世界にとって無意味どころか大きな一歩でありえる、と考えていて、その点では上記の「謎」とも話がつながっているのです。私がすぐに死んだとしても、謎を私が理解したならばそれがその後の世界の足がかりになる、と。
すぐに理解に到達できるかどうかは、わかりません。けれど生きている間、それも遠くない将来にたどり着ける可能性は大いにある、と内心では確信めいたものを持ち始めている。そんなところです。