死生観と信仰

投稿者: | 2020-09-10

日本における死生学の言説に多大な足跡を残したアルフォンス・デーケンさんが先日、88歳で亡くなりました。

私も書棚にデーケンさんの著作を2冊ほど備えており、影響を受けた者の一人です。ただ世代、そして生きてきた時代が違うのはもちろんとして、彼の心にはキリスト教への信心が常にあったことを思うと、「デーケンさんの考えを全部は理解できていないよな」という気がするのも事実です。

これは3年前に105歳で亡くなった日野原重明さんについても思うことです。

私自身は「信仰はありますか?」と問われれば、「ありません」というほかありません。けれど年を重ねてくると、信仰がどれだけ人の支えとなるか、がまざまざとわかってくるような気がしています。それでも、50過ぎた今になって何かにすがるとか帰依するって、もう無理なんですよね・・・。

「わかっちゃいるけどねやめられない」なるフレーズがありますが、「わかっちゃいるけど、信じられない」といったところでしょうか。そしてこの悩みは多くの現代日本人に共通するものだろう、とも思っています。

すぐに解決策が出てくるような話ではありませんし、きっと人により「処方箋」も違うことでしょう。けれど信仰の不在という問題は多くの人の共有するところ。まずはそれを認め、向き合うことから次の一歩が始まるのだと思います。

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