知的な人はみんなリバタリアンでしょ?

投稿者: | 2009-06-06

ある程度の知性があり、かつ社会科学の素養がある人は、リバタリアンになるのが必定。最近つくづくそう思います。

我が国ではいまだに平等、戦後民主主義、社会主義を信奉している人が、数としては優勢です。教育の世界やマスメディアではそれらが圧倒的優勢を保っていますので、仕方がありません。また、いわゆる格差社会を問題視し、自分が負け組だと自認する若者も、そうした価値観にとらわれやすいようです。

でも、大きな政府がもたらす弊害や、社会を設計することの困難さを考えたら、人々がいきいき暮らせる社会を実現するには、自由主義しか選択肢はありえないと思います。社会の複雑さ・内部的多様性はますます増しています。そんな中で平等な社会を築こうとすれば、あるいは社会主義を実現しようとすれば、ますます無理な強権を発動するしかなくなります。

もとより、自由主義が貫徹されればすべてがバラ色、というわけではないでしょう。同じ自由主義の社会でも、健全なものと不健全なものがあり得ます。不健全とはたとえば、道徳的に退廃しているとか、社会に亀裂があり階層間で敵対心があるとか、そういうケースが考えられます。健全にするための条件は、おいおい考え、書いていきます。

自由主義と平等主義の違いは、こう例えられます。自由主義は、ルールだけが決まっていて中味はプレイヤー次第のゲームやスポーツのようなもの。平等主義は、各人のセリフや動きが決まっている演劇のようなもの。

それでもあなたは、自由を犠牲にしても平等を求めますか?あるいは最近はやりの「安全・安心」を。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください