お寺の未来

投稿者: | 2009-06-10

前回のエントリ「葬儀や仏事に関してお布施を払うのをやめる、という提案」の続きです。

葬式仏教がビジネスとして成り立たなくなったら、一部の観光寺院を除き、寺の収入は激減するでしょう。

それに合わせて、仏教界には下記のような地殻変動が起きるものと思われます。

住職が世襲されなくなる
政治家の世襲が問題になっていますが、坊主の世襲はそれ以上に問題です。仏教のそもそも論をすれば、子をもうけること自体が違反行為ですが、それはひとまず措きましょう。信仰の道に生きるというのは、自ら発心し、突き進むべきものです。親が僧侶であるというのは、その妨げになる危険の方が大きいです。

寺と市民の結びつきは、家単位ではなく、個人単位に
これは自明でしょう。価値観が多様化する折から、信仰も個人主義化するのは必然です。もちろん、家族は互いに影響し合ってますから、結果的に同じ寺に共鳴することはあるかもしれません。ですがそれはいわば「たまたま」のこと。まして子孫までその結びつきが維持されると考えるのは、非現実的です。

本山-末寺の搾取関係が崩壊
個々の寺が窮乏すれば、本山が搾り取れるものが少なくなるのは当然です。本山は、いわば信仰センターとして末寺に様々な価値を提供できなければ、どんどん関係の解消が進んでいくでしょう。

僧侶の数自体が激減
これも、自明。産業としてのパイが縮むわけですから、従事する人口が減るのは当然。職業的な「うまみ」がなくなるとなれば、なおさらです。これからは、真に仏教の教えに帰依し、それに忠実に生きようとするものだけがお坊さんになるでしょう。

地方ではこれらが進みにくいようにも思えますが、檀家が子の世代、孫の世代となるに従って、加速度的に仏教離れが進むのは、確実です。

では、お寺は経済的にどのようにして存立を図って行けば良いのでしょうか。それは、また次回に考えてみます。

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