時々、世の中で使われている言葉の用法、さらには言葉そのものに疑義を呈する言説にお目に掛かることがあります。
「**といういう言葉は、こういう時に使うべきではないか」
「**な時に、**という言葉を使うのはおかしい」
という風に。
言葉を厳密に使おうとすることは、思考についても厳密であろうとすることです。従って、疑義に論理的根拠があれば、その言説には聞くべき価値があります。
ただ、中には単に好みの問題というものも少なくありません。また、その言葉が広く世間に定着しているのであれば、些細な誤用や拡大利用などは、大目に見てあげても良いのでは、ということも少なくありません。
ことさらに言葉遣いにこだわる人は、考えの了見が狭く、また大勢順応をよしとしないひねくれ者、つまりはチームプレーのできない非協調的人間であることが多いように感じます。言葉をいくら厳密に使っても、結局、ダイナミックな思考を完璧に表現することはできないのですから、ほどほどのところで妥協するのも、大人というものではないでしょうか。