自分の中で、「看取り」への関心が高まっています。
といっても、親族の誰かが死に直面しているとかではなく、あくまで職業上の関心ですが。
決まり文句のようですが、日本人から看取りの経験が失われ、あるいは経験が希薄化したために、死の現実が見えなくなってきました。その結果、生のあり方にも負の影響が出ているのだと思います。
在宅での看取りが唯一の解というわけではないでしょうが、それを中心として、いわば「看取りの復権」が起きつつあるようです。看取りをも組み込んだ形で家族関係や地域社会が再構築されようとしています。でなければ、これからの大量死社会、やっていけないでしょうから。
看取りの経験を通じて様々なことを学ぶ。看取りを一つの重要な契機として、生前も死後も他者と豊かな関係を築く。そして、自らの死に備えをする。こうしたことが、当たり前の世の中になるといい。そんなことを考えています。そして、周囲の者に自分の死を看取らせるのは、権利というよりむしろ義務だとも。
ということで、私の毎日のブログ検索キーワードに「看取り」が加わりました。代わって、「直葬」「家族葬」「終末期」「樹木葬」等を外しました。自分としては、もういいかな、という感じなので。