前回は「デジタル時代のコンテンツはいろんな意味で開かれたものになりそう」で終えました。その続き。
これからのコンテンツは、おおよそ3つのレベルで開かれたものになる気がします。
1.変化に対して開かれている
まず、これが一番重要です。ソフトウエアが頻繁にアップデートすることを思い浮かべてみてください。これからのコンテンツは、変化・改良に対して開かれたものになるはずです。
書籍などでは、ある個人が一つのテーマについて一生改訂を繰り返す、ということも当たり前となるでしょう。逆に、同じテーマでタイトルだけ変えてまた儲ける、という手法は、通用しなくなるはずです。
2.メタ情報の追加に対して開かれている
本人によるものもそうですが、受け手・消費者によるメタ情報追加も一般的になるでしょう。これは革命的なことです。作品が、多くの人の協業によって磨き上げられていく、ということだからです。
メタ情報としては、要約や図解なんかが一番有用かと思います。他にも、タグや外部へのリンクなんかが考えられます。それ以外にも、今の我々の想像を超えるものが出てきたとしても不思議ではありません。
さて問題は、追加されたメタ情報の質が低いと、単にノイズにしかならない、ということでしょう。これについては、何らかの評価システムが組み込まれるべきとは思います。たとえば、メタ情報を参照した人が、気軽に「お役立ち度」を投票できる仕組みとか。
3.改変や再利用に対して開かれている
コンテンツが単独で存在するのではなく、別のコンテンツに活かされる。このサイクルが円滑に回り始めれば、人類は驚くべき文化的多産を実現できるでしょう。爆発的と言ってもいいほどに。
こんな時代には、著作権のあり方も当然見直されなければなりません。基本的なスタンスは、権利を重んじるばかりに著作物の活用が妨げられることがあってはならない、ということでしょう。著作権についてうるさく言う著作者は、2.や3.の利点を自ら放棄するようなものですから、その質において周囲を黙らせるくらいに圧倒的というのでない限り、誰からも相手にされないでしょう。