先月亡くなった女優の大原麗子さん。報道では「孤独死」という表現が使われました。
新聞のコラムでは、その形容に違和感を覚えたらしいものが散見されます。
余録:「孤独死」というレッテル – 毎日jp(毎日新聞)
金口木舌(2009年8月28日) – 琉球新報 – 沖縄の新聞、地域のニュース
発見当初は「死後2週間経過」という見立てでしたので、孤独死が強調されたのは致し方ないことだと思います。夏場の2週間といえば、腐敗の進行も相当なものでしょうから。ただ解剖の結果は「死後3日程度」。これなら、孤独死をあまり強調する必要もないような気がします。ただ当初2週間と言われたということは、それだけ遺体の状態が・・・。
孤独死という言葉の定義は、いまだ定まっていません。ポイントとしては、
- 一人暮らしの人の死
- 自宅での死(孤独死 ≠ 行き倒れの死)
- 病死(自死を含める論者もいる)
- 死後、しばらく発見されない
といったところでしょうか。「しばらく」というのは曖昧です。ただこれは、時間が短ければ(たとえば死後数時間)「孤独死と言えば孤独死」ということになるでしょうし、長ければ「誰がどう見ても孤独死」ということになる。
孤独死が「問題」であるのは、死後の片付けが厄介になり「損害」を生む、ということと、隣人や家族など周囲の人のにとって心の傷になる、ということだと思います。それらがなければ、仮に定義上孤独死に当てはまるとしても、孤独死ということを強調する意味はありません。
孤独死という言葉とそれがもたらすイメージは強烈なだけに、他人の死を安易に「孤独死」呼ばわりすることには慎重でありたいものです。