知性と人格

投稿者: | 2009-09-06

ここのところ、表題の2つの軸でモノを考えることが多いです。知性と人格。

どっちが縦軸でもいいんですが、この2つの要素でマトリックスをつくると、次の4つの象限ができます。

【第一象限】知性ー高い、人格ー高い
【第二象限】知性ー高い、人格ー低い
【第三象限】知性ー低い、人格ー低い
【第四象限】知性ー低い、人格ー高い

普通に考えて、知性も人格も高いのが一番望ましく、知性も人格も低いのが最悪です。では残り二つではどうでしょうか。大多数の人は、人格が高い方を選ぶでしょう。賢いけど人間的に問題ある人、というのは、ある意味、知性も人格も低い人より厄介ですから。

  • 知性が高いとはどういうことか。
  • 知性を高めるにはどうしたらいいか。
  • 人格が高い(あるいは、人格が優れている)とはどういうことか。
  • 人格を高めるにはどうしたらいいか。

こういったことは、別のエントリで考えてみたいと思います。ここでは、両者の関係、あるいは相関について少し。

両者が単純な相関関係にないことは明らかです。「知性ー高、人格ー低」にしろ「知性ー低、人格ー高」にしろ、我々は多くの例外を目にしているからです。では両者は無関係か。

以下は、私の仮説です。

知性にしろ人格にしろ、そこそこのレベルの時は、両者は逆相関の関係にある。つまり、知性を高めることが人格には悪影響。逆もしかり。だが、どちらかを高いレベルで実現するためには、他方も必要となる。なので、社会有数の人格者は、知性においても秀でている。

さて、以上の考察から導き出せる教訓は、こうです。我々凡人は、まず知性より人格を高めることに注力するべきです。運なり才能に恵まれれば、その後知性と人格を高いレベルで両立できるかもしれません。ともあれ、小賢しい不道徳者になるのは、何としても避けたいものです。

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