非嫡出子の相続差別について、思うこと

投稿者: | 2009-10-07

民法改正(非嫡出子規定に関わる)の件で3日の日に話題にした件ですが、まさにその日に最高裁判決のニュースが飛び込んできました。

asahi.com(朝日新聞社):非嫡出子の相続差別、違憲の意見 最高裁、結論は合憲 – 社会

遺言ニュースでの第一報は、こちら。

【裁判】非嫡出子の「相続差別」は合憲と最高裁が改めて判断示す

Twitter上での反応を見る限りでは、「最高裁はおかしい。今どき相続差別なんて時代遅れだ」といった意見が多いです。これから、ブログでの反応も見てみようと思っていますが、たぶん7~8割は合憲判決に批判的でしょう。

私自身は従来、「民法改正して非嫡出子の相続分も嫡出子と同等にするのなら、反対はしないよ」というスタンスだったのですが、ここ数日この件について考えてみて、むしろ反対に近くなりました。今のままでいいじゃんか、という気持ちです。

最大の理由は、実際に嫡出子と非嫡出子で遺産分割するとなったとき、仮に民法が相続分を平等に定めていたとして、嫡出子の側はそれで納得できるかどうか、大いに疑問だということです。極端な例で言えば、故人が亡くなるまで子や妻が「愛人の子」の存在を知らなかった、ということすらあり得ます。そうでなくても、愛人とその子は日陰者の存在で、同等の遺産分与を求めるのはあつかましい、というのが普通の感覚なのではないでしょうか。

仮に故人が非嫡出子の分け前を多くしてあげたいなら、遺言すれば済むこと。「相続差別はおかしい」というのは、法に正義とか理想の実現を求めようとするもので、お門違いと言わざるを得ません。ちなみに声高に平等を求める人たちは、一夫一婦制を軽視、ないし敵視しているようにも見受けられます。この点については、別エントリで考えてみます。

さて、より根本的な問題として、そもそも民法が相続分を決めていること自体、どうなのよ、という点があります。家族の状況はそれぞれなのに、法の定める相続分はきれいな分数。それほど相続の知識のない人でも「子の相続分は平等」ということは知っており、それを権利ととらえているフシがあります。相続トラブルの多くは、この思い込みの権利と実態との乖離、さらには相続人間の認識ギャップによって生まれるものだと思います。

ここは一つ、

  • 相続は、遺言によるのが原則
  • 遺言がない場合、相続人間の話し合いで遺産分割
  • 遺産分割がまとまらなければ、平等分割をベースに個別事情による補正を加える形で、調停・審判

という体系に改めてはどうでしょうか。調停・審判に持ち込まれるケースは今より増えるかもしれませんが、一つは遺言作成が増えることにより、もう一つは家族内で争いたくないという思惑があることにより、激増することはないんじゃないかと思います。

非嫡出子の相続分は、この方式で行くと、平均すれば嫡出子の3分の1程度になるんじゃないでしょうか。嫡出子と同等になることがありえないのはもちろん、現民法の2分の1をも下回るであろうことは、容易に想像できます。

法は、社会生活を円滑に進めるための道具に過ぎない、と、プラグマティックに考えるべきだと思います。

非嫡出子の相続差別について、思うこと」への2件のフィードバック

  1. uj

    ・「非嫡出子は愛人の子とは限らない」
    ・「男性が生前に相手の妊娠の事実を知りえなかった場合(女性本人ですら知らなかった場合など)は遺言書を残せない」

    という視点が欠けているように思えます。

  2. 永岡 秀樹

    コメントありがとうございます。

    >・「非嫡出子は愛人の子とは限らない」
    そういう時こそ、遺言を書けばいいですよね。

    >・「男性が生前に相手の妊娠の事実を知りえなかった場合(女性本人ですら知らなかった場合など)は遺言書を残せない」
    制度設計する際に、そうした例外的ケースを考慮する必要があるとは思えませんねぇ。

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