脱クルマ社会が唱えられると、「そうは言っても、地方はクルマなしでは生活が成り立たないからねー」というツッコミが必ず入ります。
現実は、そうでしょう。ただ、それに甘んじていると、その地域はさらに衰退するのが必定で、消滅のおそれすらあります。
郊外や幹線道路沿線に大型ショッピングセンターや全国資本のチェーン店があってそこに買い物に行くのが日常、なんていうのは現役世代の人にはいいかもしれませんが、高齢者には負担・苦痛です。また、好奇心旺盛な若者も、そんな退屈な街は抜け出したいと思うでしょう。
目指すべきは、コンパクト・シティ。個性的な店が軒を連ね、人々の交流が盛ん。職場と住居も近接している。それが、高齢化し、女性が活躍する社会での持続可能な中小都市のあり方に間違いありません。でなければ、都心の空洞化とともにまちが衰え、ついには人口流出が加速度的に進行していくことになるでしょう。
「クルマがないと生活できない」のが現実にしても、そこから脱却しようとしない・脱却できない街は、ますます寂れる一方なのです。つまり、未来がない。もちろん「脱却」は簡単なことではありません。住まいの問題や交通の問題などについて、様々な改革や実験が必要です。そうしたことに前向きに取り組めるかどうか。そのこと自体、各都市の活力の大きなバロメーターです。
運転免許を持たない私は、「クルマがないと生活できない」街には住めません。住もうとも思いません。そして今後、そういう人は増えていくと思います。
先祖伝来の土地を守ってそこに住まうことに誇りを感じている自分ですが、生憎地元は寂れていくばかりです。耳にタコかもしれませんが、クルマが無ければ食糧を買いにいくこともままならず、本当に生活になりません。クルマなしじゃ…なんて言っている田舎には未来はないのかもしれませんが、それでもそこを捨てて出て行く訳にはいかないのです。便利な所に住んでいる方が、恰好のよい事ばかり言わないで下さい。
田舎に住むのは、当人の勝手です。ただ、道路整備など公共事業に関して、都会の税収が地方に回されるのを都会の人間がいつまでも許容し続けるとは、思わない方が良いですよ。必要なら、田舎の人間が自分たちで金を出し合ってやれよ、という話。
先祖伝来の土地を守ってそこに住まうことに誇りを感じている自分ですが、生憎地元は寂れていくばかりです。耳にタコかもしれませんが、クルマが無ければ食糧を買いにいくこともままならず、本当に生活になりません。クルマなしじゃ…なんて言っている田舎には未来はないのかもしれませんが、それでもそこを捨てて出て行く訳にはいかないのです。便利な所に住んでいる方が、恰好のよい事ばかり言わないで下さい。
田舎に住むのは、当人の勝手です。ただ、道路整備など公共事業に関して、都会の税収が地方に回されるのを都会の人間がいつまでも許容し続けるとは、思わない方が良いですよ。必要なら、田舎の人間が自分たちで金を出し合ってやれよ、という話。