「プロ遺族」という存在

投稿者: | 2009-12-26

おととい、こんなつぶやきを発しました。

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「プロ遺族」といっても、それでメシを食っているわけではなく、それを生活における活動の中心にしている、ということです。具体的には、福知山線脱線事故や地下鉄サリン事件の一部遺族、「自死遺族の会」といった活動をしている人たちを念頭に置いています。

どんな信条を持とうが、どんな活動をしようが、基本的にはその人の自由です。ただこうした堂に入ったプロ市民は、自分のためにも良くないし、周りにも迷惑な存在だったりします。そしてきっと、故人も喜ばないでしょう。

プロ遺族本人に向かってたしなめる、ということはしませんし、できませんが、この場を使って、「やめた方がいいよ」と言いたいです。

本人のためにならない、とは、悲嘆をいわば「抱きしめる」ことは、その克服にとって妨げとなるということです。当初は内側からわき出る悲嘆が当然あるでしょうけど、「悲嘆を抱えた私」というアイデンティティを確立してしまうと、意識的にか無意識的にか、悲嘆から抜け出すのを避けるようになります。それは、良くない。

また周りに迷惑というのは、これらの人が過度に傷つきやすい反面に攻撃的で、自分の気持ちをわかってくれない人や、自分の要求をそのまま呑んでくれない人を、ひどく責めがちなのです。悪いことに、そうした傲慢は、周囲の誰も指摘してくれないので、時として醜悪なまでに増長することがあります。上に書いたように、「鼻つまみ者」になってしまうのです。

あなたの周りにはこんな「プロ遺族」、いませんか?

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