個人情報は、公開がデフォの時代へ

投稿者: | 2010-01-15

もう2週間前の記事ですが、こんなのが。

すべてを公開しながら生きる生き方, それがふつうだと思おう

プライバシーは今後も生き残る、しかし相当に変容して、すぐにそれとは分からないようなものになるだろう。プライバシーは死んだと大騒ぎする人は多いが、それは間違いだ。われわれ一般大衆は、ひたすら、公開性のますます大きい生活を、営んでいくのみである。

全く同感です。個人情報、あるいは私生活の情報を公開することで得られるメリットが大きくなるにつれて、「原則秘匿、選んで公開」から「原則公開、選んで秘匿」というプライバシー公開指針に移る人が増えるでしょう。メリットとは具体的には、公開すればするほど、情報や人と出会うチャンスが増大するということです。それも、大雑把に言って等比級数的に。

もちろん、世の中の人みんなが私のように割り切った考え方を持つはずはありません。この移行、あるいは転換は徐々に進むということになるでしょう。恐らくは、頭の柔軟な若者から先に。

もちろん、自分にとって都合の悪い情報は、隠す自由があります。ただこれからは、公開しない人は疑いを掛けられる、そして都合の悪い情報を隠していたことが後になってバレたら、制裁が加重される、という風になるんじゃないでしょうか。以前にも書きましたが、公開がデフォになれば、世の中全体の悪事は減ると、本気で思っています。「公開がデフォ」には、世の中をより平和にする効果もあるんですね、きっと。

個人情報は、公開がデフォの時代へ」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 21世紀の「プライバシー」 | 志の輪、広げよう。

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