世襲住職について

投稿者: | 2010-02-13

少し前にTwitterでつぶやき、お坊さんに議論をふっかけるような形になったのですが、私は、やはりお寺の住職が世襲されるのはマズいと思っています。

現実問題として、お寺の存続のためには後継者が必要です。そうなると住職の息子である方が何かと安心。というのは、跡を継がせる側だけでなく、檀家の側も考えることでしょう。世襲が続いているのには、それなりの理由があるということです。

さらに、従来型の葬式仏教であれば、僧侶はいわば読経や法話のパフォーマーなので、見た目上それらしければ、世襲でも特段の問題はなく、むしろ歌舞伎などの伝統芸能みたいに、箔が付く面すらあったと思われます。

ただ今後は、人々が仏教、お寺に求めるものが葬式仏教ではなくなっていくにつれて、僧侶個人の宗教家としての覚悟・資質がより厳しく問われるようになると見込まれます。葬式仏教という「ビジネス」のパイが縮むのは確実ですので、なまくらな跡継ぎ住職では、檀家離れに歯止めが掛からず、お寺の存続が危うくなる可能性が高いでしょう。

もちろん「世襲は良くない!」などと言って、法などの力で世襲をやめさせることはありません。安易な世襲を続けていく寺ほど、没落が早まる。そういうことだと思います。そして仏教界全体が世襲の問題をおろそかにしていると、国民の仏教離れに拍車をかけることとなるでしょう。一人の仏教愛好家として、これは忍びない。

仏教関係者の方々には、お寺の役割を再定義・再構築する中で、世襲の問題にも厳しく向き合っていただきたいものです。できれば、親子で僧侶の場合、同一宗派でも別の寺でしか住職になれない、といった自主規制ルールをつくっていただきたいものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください