いつも読ませていただいているブログに、興味深いネタが。
当時考えられる携帯壁紙のサイズの画像を数種類つくり、自分のPCからご遺族の携帯のアドレスに送ったところ、こんな内容の返信が来た。
「本当にありがとうございます。これで父がいつも傍にいるような感じです。」 ・・・と非常に喜んでいただけた。
当時は中々ご遺族の声を聞く機会がなかったので私にも新鮮な経験だった。
今思えばデジタル的手元供養のはしりだったのかもしれない。
ケータイやスマートフォンって、ほとんど肌身離さず持ち歩くもの。それだけに、フェティシズムのような情を抱きがちです。その中に親しかった故人の写真を入れて持ち歩けば、それも立派な「手元供養」となりそうです。
まして上記記事で紹介されているiPhoneのようなスマートフォンであれば、アプリケーションによって様々な仕掛けを施すことも可能。パソコンのサイトで見る「バーチャル墓地」のたぐいは子供だましみたいなものが多く、どう考えても大衆に普及する気はしませんが、バーチャル供養はスマートフォンによって一気に広がりそうな気もします。
もしかするとデジタル世代にとっては、遺骨にこだわる従来型の手元供養より、こちらの方が受け入れやすいかもしれない、とすら思います。アプリケーションであれば、イノベーションの自由度が「遺骨加工型」の手元供養などとは比べものになりませんから。
問題は、というか少し気になるのは、バックアップです。故障などでスマートフォンが使えなくなると同時に手元供養も「お陀仏」では、シャレになりませんからね。
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