最後の意思表示

投稿者: | 2010-03-10

先日、TwitterでこんなTweetが。

 

Twitter / ホームクリニック 暖: 緩和ケア・ホスピスでは心肺蘇生や人工呼吸はしないのが …

緩和ケア・ホスピスでは心肺蘇生や人工呼吸はしないのが原則だけど、うちには置いてある。人の意思は変わる。今日の意思というのがある。事前意思表示は過去の意思。 徳永先生

終末期医療の現場にいる方の実感なんだろうと思います。かみしめたい言葉、内容ですね。

まずは最低一度は意思表示していることが前提ですが、それは死ぬまで「最終」のものとして確定されることがありません。「意思が変わることに開かれてあれ」というのは、当事者も周囲も、肝に銘じておくべきでしょう。

そのことを確認した上で、3点ほど。

まず、延命を望む方向と、死を望む方向では、「意思の変化」と言っても意味合いはかけ離れている、ということ。前者には寛容であっていいと思うし、あまり問題もないでしょうが、後者に関しては一筋縄ではいきません。本人は良くても、家族が納得できないことも多いでしょうし。

そしてもう一つ。終末期医療に関する意思表示は、それこそ命が尽きる間際まで揺れ動くのが自然なことと思います。他方で、他のこと、たとえば財産に関する意思表示や、葬儀・埋葬に関する意思表示は、あまり揺れ動くのは不自然ですし、本人の信用にも関わります(笑)。「事前意思表示は過去の意思」という話を、終末期医療以外のことに一般化するのは、無理だろうな、というのが私の実感です。

最後に。これは勝手な予想でしかありませんが、終末期医療についていろいろ学び、家族と話し合っておけば、意思表示の揺れの振幅はそれほど大きくならないんじゃないか、という気がします。これについては、以前尊厳死に関連した記事を書いたときにあれこれ考えてみました。よろしければ、ご覧ください。

尊厳死という「意思決定」

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