島田裕巳著「葬式は、要らない」が大ヒットしたことで、今後その便乗本が相次ぎそうな気がします。
早速、双葉新書からは「葬式は必要! 」という本が・・・。書籍はもちろん、テレビや新聞でも「葬式は必要?不要?」というネタが続出することでしょうね。
基本的に私は、問いの立て方が間違っていると思います。あるべきは「我々(主に家族)にとって、いいお別れとはどんなものだろうか?」という問い。学者や評論家でもない限り、一般論で葬式の意味を論じても仕方ありません。今生きていていずれ死ぬであろう具体的な存在としての自分にとって、家族にとって、いいお別れはどんなものかを考え、そして家族が話し合うことが大事だと思うのです。
で、そう考えると、いくつかのことがはっきり見えてきます。
まず、従来型の「お葬式」でいい、と考える人は急速に減っているということ。そして同時に、葬式に金をかけるのがバカらしいとかくだらないという価値観が急速に広まっていること。「葬式に○○は必要か?」という問いを立てれば、事業仕分けじゃありませんが「廃止」の結論が出るものは少なくないように思います。坊さんしかり、白木の祭壇しかり、喪主関係者しかり。
大切な人とのお別れ。もっと故人の生き様が反映されたものであってほしい。あるいは、お別れする当事者はお客さんや消費者ではなく、主体でありたい。そうした思いが、従来型の葬儀だったら、やっても仕方ないわという風潮につながっていると見ます。「葬式は必要」と強弁する人には、その辺のことを自覚していただきたいものです。政権から引きずり下ろされた自民党のように、市民から「NO!」を突きつけられつつあるのだということを。
さて葬式が必要かどうかという以前に、無縁のまま亡くなっていく人が少なくないこと、そしてそうした人たちが増えていくだろうということも、大きな問題です(この件は、別エントリで)。
それを思うと、机上で「葬式は必要か」とか議論ごっこをしているのは、何とのんきなことよ、とも思えます。葬祭事業者には死活問題かもしれませんが、消費者にはそんなの関係ありませんからね。
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