メール地獄

投稿者: | 2010-04-30

身近に大学生以下の知り合いがいないので、メディアを通じてしか知らないのですが、今どきの若者はメール(それも、ケータイの)に依存しているようですね。

受信したら数分で返信するのが掟とか、アドレス帳に数百件の知り合いが登録されてるのが普通とか、お風呂やトイレに携帯を持ち込む者も珍しくないとか。40になろうかという私には、もはや「異文化」です。

携帯、とりわけメールがあることで、友達関係や恋人関係のあり方がそれ以前とは違うものになった、というのはたやすく想像できます。いつでも気楽に直接連絡できるというのは、メリットも少なくないことでしょう。

私が子どもの頃は、家電(いえでん)しかない時代だし、近所の子と遊ぶときには直接行ったりしていたものです。電話が普及していない明治・大正時代の小説を読むと、急ぎの用事で電報を打つシーンがよく出てきますが、平成の若者から見たら、昭和のコミュニケーションはひどく不自由で、面倒くさいものに思えるでしょうね。

ただ、先日放送されたNHKの特報首都圏「“ひとり”が怖い」を観て、若者のそうした文化は、弊害も少なくないのではないか、と感じたことでした。一言で言って、「ムラ」的なんですね、ノリというか雰囲気が。個性とか自我を養うには、マイナスなんじゃないでしょうか。

ズバ抜けて才能のある人、自我の確立された人は、そんなのものともせず伸びていくでしょう。けれど、そこまで行かない、ちょっと「芽」があるというクラスの人は、そうした若者文化にスポイルされちゃうんじゃないでしょうか。それを懸念します。

若者や若者に同情的な人からは、「メールでコミュニケーション能力が養われる面もある」と反論されるかもしれません。けれど、同世代だけ、日本人だけでコミュニケーションしていて養われるほどの能力なんて、大人になってからはあまり活かせないと思います。「ないよりまし」という程度でしかないんじゃないでしょうか。いや、異世代・異文化へのアレルギーにつながるとしたら、害ですらある。

以上述べたことは私個人の「印象」程度にしか過ぎませんが、携帯メールを子どもの頃から使っていた世代が社会の多数派になったとき、思わぬ弊害が露わになるような気がしてなりません。一言で言って、日本総ムラ化、日本総ガラパゴス化、です。

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