リスクを冒さない、というリスク

投稿者: | 2010-05-09

ここのところ、「抵抗勢力」と呼びたいような人たちが目に付きます。

出版業界などメディア業界の人たち。そして私に関係のあるところでは、仏教界や葬儀業界の人たち。もっと言えば、日本人全体が変革を拒んでいる面も多分にあります。

これらに共通するのは、現状の「安楽さ」を維持することに汲々として、自ら変革を起こそうとしていないこと。たぶん当事者は、リスクを冒すくらいなら、「手直し」程度で対応すれば良い、と考えているのでしょう。

けれどもよく言われるように、リスクを冒さないことが最大のリスク、ということもあります。目先はそれで適応できたように見えても、巨大な変化に足下をすくわれる可能性があるからです。

この件に関連して、「安全・安心」を好む、というよりそれにしがみつく日本人の気質は、結構根深いものなのかもしれない、と最近思うようになりました。ちょっと絶望的な認識なんですけどね。

この列島に棲む人は、もともと大陸や大西洋の島々から渡ってきた人の子孫が大半です。その意味では、リスクを冒す「血」がないということはないはずです。けれど長年この列島で稲作中心の社会をやっていくうちに、そうした面がかなり抑えられるようになった。

日本語を中心に、日本社会の持つ粘着力、あるいは同調圧力はちょっとやそっとでは崩れないのではないか、というのが今の私の認識です。明治維新や戦後の経済成長を例に「日本人は、目覚めると方向転換するのが早い」と期待を持つ向きもありますが、今のところ、そうした気配は見られません。そして高齢化するこれからの日本は、ますます保守的・退嬰的になる可能性が大、です。というか、たぶんもうそうなりつつある。

せめて個人のレベルでは、「リスクを冒さないことが最大のリスク」ということを銘記し、身の丈にあったリスクを積極的に取るようにしたいものです。それこそ、死ぬ時に後悔しないためにも・・・

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