産経は購読しているのですが、この記事のことはネット(Twitter)で知りました。
「宗教介入だ」仏教界困った イオンの葬儀サービスが「お布施」に目安 – MSN産経ニュース
イオンのサービスを利用する人は、決まった葬儀社がなく、お寺との関係が薄い(もしくはない)家庭が多いはず。であれば、顧客の声に真摯に耳を傾ければ、「お布施の料金化」はやむを得ないことと思います。
普段からお寺との付き合いがあまりないなら、お布施をどれくらい払えばいいかわからない、とか、葬式や法事の時だけ来て高額の費用がかかるといった不満は、多かれ少なかれ持っているものではないでしょうか。まして当のお坊さんが「生臭坊主」だったりすると、尊敬できないどころか嫌悪感や憎しみすら持つことでしょう。
個人的には、僧侶の派遣にしろお布施の料金化にしろ、過渡的な動きだと見ています。遠くない将来、僧侶は葬儀などにおける「オプション」の一つとなって行くでしょう。そして時代とともに、そのオプションを選ばない人が増えていく。行き着く先は、葬式仏教の崩壊です。
こんなことは、仏教の世界を大して知らない者でも見通せるトレンドです。ただ逆にお坊さんの世界に生きている人たちにはそれが見えないようで。Twitterなどで見ても、上記の記事とその反響に対するお坊さんの反応は鈍いものでした。あるいは仮に言及している場合でも、(こちらから見たら)的外れな逆批判を展開していたり。
これによって、私の中では「ダメだな、こりゃ」という確信が芽生えました。今の葬式仏教の中で生き、生計を立てている人たちはごく一部の例外を除き、自ら変わることは不可能だと思います。消費者によって、徹底的に「ノー」を突きつけられるしかないんじゃないでしょうか。おまんまが食い上げになるまで。
たとえば、こんなブログ。
なるほど、今の日本仏教の僧侶というのは、「堕落」しているのかもしれませんが、一般人(在家・檀家)というのも、僧侶以上に堕落しています。だって、「お気持ちでの布施が出来ない」のですから。
どっかのブログを見たら、葬儀というサービスを受ける「消費者」の立場としては・・・なんて分かったふりして記事を書いている者がいた。ホント、バカに付ける薬がないというのはこのことだ。そもそも、葬儀というサービスは、「消費」出来るものかどうかへの考察が無い。
「何言ってんの、こいつ」という感じですね。
一方、こちらの記事にはとても共感しました。
この数年、極端に宗教離れが進んでいるように感じます
「葬儀にお経は必要」これは遺族が故人に対して何もしなければ
うしろめたさが残る、そんな表れで、宗教心はどんどん失われて行って
いるように思います
もはや“お経”はオプションの一つになってしまっているのではと感じることも
あります。日本人からモラルや目に見えないものへの恐れ・敬いの気持まで消えない
ように宗教者も企業も頑張っていただきたいと願います。
産経の記事、私は「チャンス」と思っています。大相撲界がメディアでやり玉にあがっていますが、仏教界も同様に、ダメな部分や「うみ」を徹底的に暴かれるといい、と思います。そして葬式仏教の崩壊が早まれば、結果として日本の仏教のためにはプラスになるんじゃないでしょうか。
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