話題の書『これからの「正義」の話をしよう』を、読み終わりました。
それなりに知的刺激のある本かとは思いますが、著者のスタンスには全く賛同できません。(私の短い感想は、こちら)
唯一、考えさせられたのは、自由な社会、そして階層間の格差が拡大・固定化するような社会では、人々の連帯感が失われ、特にお金持ちは公共的なものへの関心をどんどんなくして行くのではないか、というくだりでした。確かにその可能性はありますし、実際にそれが理由で、自由な社会に反対する人も多いでしょう。
以下は、私なりの反論です。
こと日本に関して言えば、日本語と日本列島という「壁」に覆われている我が国は、社会が際限なくバラバラになる危険性を免れるのではないでしょうか。そしてもっと言えば、それなりに平等主義の現在でも「よく統合されている」とは言い難いので、より自由主義的になったからといって、目に見えて社会に遠心力が働く、とは限らないように思います。
さてもう一つ、強力な反論があります。政治や行政があまりに「お節介」だと、市井の人々の公共的関心を削ぐ、という機微がある、という点です。いわば「お上」にお任せ、となりがちなのです。その例証としては、民主党政権下で「子ども手当て」の話が出て以来、あしなが育英会への寄付が激減している、ということが挙げられます。
もちろん、政治や行政が後退したら、すべての人が寄付したり公共的活動に参画したりするようになる、なんてことがあるはずはありません。ただ、税金を使って政府がやる部分が多いほど、人々が社会に貢献しようとする気が薄れる、というのは普遍的な事実だと思います。政府は、お節介でない方が良いのです。
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