「核廃絶」という空しき願い

投稿者: | 2010-08-12

今年は、核廃絶を唱える言論を、例年以上に目にする気がします。

やはり、オバマ大統領のプラハ演説は、それなりに波紋を広げ、平和運動家の方たちの後押しになっているのでしょう。

でも私は、核のない世界を理想とする考えには疑問を持っています。一言で言えば、仮に核兵器が世界のあちこちにあったとしても、それが使われない状態が何十年、何百年も続くなら、上出来だろうと考えるのです。そして、その方がまし、とも。

仮に大国が核を放棄したとしても、ならず者国家やテロ集団などが密かに核を開発・入手しないという保証が、どこにあるというのでしょう。そうしたとき国際社会は、核を持たない場合よりむしろ戦争に訴える誘惑に駆られやすくなるんじゃないでしょうか。核を放棄することが平和につながるどころか、通常兵器による戦争の敷居を下げるとしたら、何のための核廃絶でしょうか。もとよりこれは「そうなることも考えられる」という蓋然性の話ですが、その蓋然性は決して低くないと思います。

そして何より、我が国はすぐそばに、核保有国である中国、核を間もなく持とうとしている北朝鮮を控えています。「核廃絶」を言うなら、両国に何としてでも核を捨てさせない限り、単なるお題目に過ぎません。もちろん、自らがその恩恵を得ているアメリカの核に対しても、同様です。

一般に、核廃絶を唱える平和主義の方は、格好良い理想を語っていることに酔ってしまい、国際政治や安全保障について、現実的な解を出すことに興味が薄いように見受けられます。よく言われるように「お花畑」なんですよ。

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