小さな政府・大きな社会

投稿者: | 2010-08-21

イギリスの保守党政権が、キャッチフレーズにしているようです。

ブレア政権の時の「第三の道」も、同じような路線だったかと思いますが、サッチャー氏の後継であることを示すためか、表題のようなものにしているようです。

これに関連して、大前研一氏が「偉大な社会」を提唱するコラムを書いていました。

日本再生のための「偉大な社会」構想 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

・・・国民の社会への貢献だ。今は国民が行政に甘えている。ゴミの回収も何もかも、まるでホテルのルームサービスかのように自由気ままに望む。そんな甘い考えの国民では歳出を抑えるのは難しい。財政破綻を避け、借金を次世代につけ送りしないためには、今の考えを改め、社会に献身する国民にならなくてはいけない。

そして、具体的に下記のような形での貢献策を奨めています。

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「小さな政府・大きな社会」は、かなり秀逸なスローガン、ビジョンなのではないかと思います。それは、多少思惑にズレが生じるとしても、かなり幅広い価値観の人々を結集することができそうだからです。ガチガチの無政府主義者や共産主義者でもない限り、「そんなの、絶対にダメだ!」と言うことはないのではないでしょうか。

政府の役割は、できるかぎり小さくする。一方で、社会に生じる様々な問題は、市民が互いに助け合い、力を合わせることで乗り越えていく。自助を基本としつつも、しっかり共助の網を張り、どうしてもそれらが及ばない部分にだけ公助を用いる。財政の制約がある中で、また政府の仕事が必ずしも効率的でないことを考えると、方向性としてはこれ以外の解はないように思えてなりません。もとより、「範囲」をめぐってはいろいろ議論があるでしょうが。

では、大きな社会を実現するには、どうしたらいいでしょうか。ここでは戦略的課題を列挙するにとどめ、それぞれについては、別のエントリーで個々に考えてみたいと思います。

ソーシャルな分野に人や金が流れるようにする
わかりやすい例は寄付でしょう。それ以外にも、社会的分野への投資・出資がペイするような仕組みがいろいろ開発されてほしいものです。またそれと並行して、優秀な人材がたくさん入ってくるようになってもらいたいですね。現在の学生の一部には、そうしたムーブメントが既に起きつつあるとも聞きますが。

企業が、より社会的責任を意識したものになる
ソーシャルビジネスという言葉がありますが、ゆくゆくは全ての企業がソーシャルビジネスの性質を帯びるだろう、というのが、私の見立てです。願望も入っていますが。

地域主権にする
中央集権の一律行政では、市民の活動に対してどうしても抑圧的になりがちです。人々が公的なものに参画しやすくするためにも、地方分権は避けて通ることができません。

地域通貨を普及させる
大前氏が言う貢献度ポイント制度を実現するものとして、地域通貨の可能性に期待してみたいと思います。一時期に比べると注目は下火になったような気もしますが、電子マネーが普及しつつある現在、地域通貨は地域の活動を活性化させる起爆剤になり得ると信じています。

最後にお願いです。私のように「小さな政府」を唱える者は、反対する人から市場原理主義者のレッテルを貼られることが少なくありません。あと、新自由主義者とか。政府より市場の方が「まし」と思っているのは確かですが、「市場に任せれば全てうまく行く」なんて考えているアホはいませんよ。「小さな政府・大きな社会」という方向性もありえるのだとわきまえて、こうしたレッテル貼りはやめていただきたいものです。

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