流行ばかりで、不易はどこへ・・・

投稿者: | 2010-09-07

不易と流行という言葉があります。

最近つくづく思うのは、私含め現代人は「流行」の方に流されがちなんじゃないかということです。いや、ほとんど不易そっちのけ、ということも少なくないように見受けられます。

これはやはり、ネットというメディアの性質によるところも大きいのではないでしょうか。ネタが次々流通するので、スタンダードなもの、古典などは、あまり顧みられることがありません。そしてこのことは、テレビにも言えるような気がします。「流行」流れは、今に始まったことでなく、テレビの普及や浸透とともに進んでいたのかもしれません。

こうした部分では、やはり活字メディアが向いているような気がします。本であれば、物故者の書いたものでも、あるいは時代や国がかけ離れた人の手になるものでも、読むことができますから。「活字離れ」という言葉は安易に使わない方が良いと思いますが、少なくとも昭和と平成を比べれば、亡くなった人の著書が読まれる率は、びっくりするくらい低下しているんじゃないかと思います。「死んだ人には用は無い」といった観念があるんじゃないか、と疑ってしまうほどです。

個人的には、不易を閑却する創造者は、流行に乗ることはできたとしても、自ら不易たるものを生み出すことは難しいんじゃないかと思います。不可能、とまでは断言しませんが。ネットが成熟してくれば、不易に触れ、不易をマスターすることは割と容易になることでしょう。そうした時、「流行だけを追わない」という意識を持っている人とそうでない人では、アウトプットの質がかなり違ったものとなることでしょう。

このエントリー、人によっては「随分思い込みに満ちた意見だな」と思うかもしれません。けれどこれが、それなりに生きてきて得た、私の確信です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください