極端から極端へ

投稿者: | 2010-09-29

気になるブログ記事を見つけました。

めも : 胃ろう雑感

「尊厳死を勉強」しているという年配の女性にとんでもないことを言われた。
「あなたのお母さんお気の毒ね。おかわいそうに。
胃ろうなんてつけてまでして、生かしておく意味があるのかしら。
私だったらいやだわ」

私は「は?」と思わず、正面から聞き返してしまった。「うちの母、かわいそうですか?」
「その人を生かしておく意味があるの?」と問いかけているのである。
寝たきりである人の人生は意味がないから殺してしまったほうがいい。
彼女は確かにそう言っているようだけど、その上から目線、ご本人はまったく気づいていないらしい。

さすがに、こんなことを家族に面と向かって言う人はどうかと思います。ただ、メディアで胃瘻(いろう)の問題点について語られるようになると、こうした胃瘻悪者論とでも言うべきものが出てくるのも、またあり得る話です。せめてメディアの方には、胃瘻のメリットを伝えるとともに、胃瘻に対する疑問がどういう文脈で提起されているか、丁寧に語ってほしいものです。

一言で言えば、胃瘻を100%善ととらえるのも、悪魔の医療ととらえるのも、どちらも極端すぎて話になりませんから。

さて上記で問題なのは、自分の医療観や死生観を他人に押しつけるかのような格好になっていることです。少なくとも、自分の価値観と相容れない選択をした人(およびその家族)に向かって「自分はこういう価値観だ」と表明することは、その選択に関して「お前は間違っている」と言っているようなものです。よほど親しい間柄でない限り、表明を控えるか、よしんば表明するとしても十分に気を遣うべきでしょうね。

ただし、今後はこうした医療に関して、どんどん「ぜいたく」「わがまま」といった見方がされるようになるのもまた仕方がないと思います。選択は当人や家族の勝手ですが、保険による恩恵は受けづらくなるであろうことは覚悟しておいた方が良いと思いますよ。つまりは、「全額自己負担にしろ!」ということになるでしょうね、いずれは。

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