前回の続きです。今度は「遺言書重視の誤り(下)」への反論とコメント。
前回は総論的なお話でしたが、こちらは学説を引用しつつ、裁判の場で遺言が尊重されすぎることへの疑問を述べています。筆者の言いたいのは、きっとこっちの方なのでしょう。
日本では諸外国に比して遺言書の有効性を担保する制度が乏しく、それだけ無効の遺言書が登場する可能性が高い。実際、以下の指摘がなされている。
「外国に見られるような、遺言の有効性を判断する特別の手続(検認手続)もなく、作成した遺言を公的に保管し管理する制度もない現状では、遺言に信を置き過ぎることには問題がある」(床谷文雄「遺言法の課題」野村豊弘、床谷文雄編『遺言自由の原則と遺言の解釈』商事法務、2008年、6頁)。
平たく言えば、「遺言はいい加減だったりインチキだったりするかもしれないのに、現状は無効や不正を抑止するには、あまりにもユルすぎる。」といったところでしょうか。
私からの反論は2点。
理論的な可能性としては、確かにそうかもしれません。でも実際に、現場レベルでどんな不都合や不正が起きているのか。実例を挙げながら議論しないと、あまり生産的じゃないんじゃないでしょうか。いきなり英国の話が出てきますが、彼我の事情を細かく比べずに「日本も英国並みになるべき」と言うのは、あまりに乱暴かと。
次に、仮にそうした不都合や不正が現に生じていたとしても、運用の改善で対処できないものなのかどうか。一部に問題があるからと言って、制度の体系全体を一挙にひっくり返そうとするのは、稚拙なやり方に思えてなりません。
私は法学者ではないので、引用されたような学説が学会でどんな位置づけにあるのか、つまびらかにはしません。ただ印象をいわせていただくと、実務の現場から遊離した珍説・奇説のように聞こえます。
遺言は、遺言者の意思に基づき、財産を「誰に」「どれだけ」分けるかを決めるための制度です。本人はもとより、家族が納得するのであれば、他人がケチをつけるようなものではありません。今後も遺産相続をめぐるトラブルは増えるかもしれませんが、大局的に見れば遺言があった方がトラブルは防げるはずですし、そうした遺言のメリットを生かすべく、制度や運用の改善を地道に重ねていく。我々の採るべき道はそれしかない、と確信しています。
「遺言のメリット」を認めそうにない人には、言っても無駄なことかもしれませんが。