「快食快便」は元気の証!

投稿者: | 2010-10-08

数日前、Twitterでこんなことをつぶやきました。

Twitter / @遺言コンサルタント・永岡秀樹: 「快食快便」という言葉を初めて聞いたのは、たぶん小学 …

「快食快便」という言葉を初めて聞いたのは、たぶん小学生の頃。でもその「有り難み」がうっすらと実感されるようになったのは、それから20~30年経ってからです。あと20~30年とかそれよりもっと経てば、さらに痛切に実感していることでありましょう。

言葉は知っていても実感が伴わないこと、あるいは、人生経験を重ねる中で言葉の持つ深い意味に気付かされるというのは、よくあることでしょう。私にとっては、この「快食快便」もその一つです。

現在40歳の私は、子供の頃に比べたら、ずっと快食快便の有り難みをわかっているつもりです。けれどこれから先、病気をしたり、自分または身内が要介護状態になったなら、さらにこの言葉の重みを実感することになるだろうな、と予期しています。

ともあれ、ご飯を美味しく食べられること、おしっこやウンチを気持ちよく出せることは、当たり前のようでいて立派な幸せです。生きているうちにあと何回、これらの営みをするかはわかりません。できれば、毎回頭の片隅ででも、感謝の思いを持っていたいものです。

なお、3年以上前に、別のところでやっていたブログで、こんな記事を書きました。

今ココニ在ル未来:私の尊厳死宣言 – livedoor Blog(ブログ)

ちょっと勇ましいというか青臭くすらある「マニフェスト」ですが、今後この信念に変化が訪れるのかどうか、あるいはこの意思を貫徹して命を投げ出すのか、我ながら楽しみです。

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