多様性を肯定するのはいいが・・・

投稿者: | 2010-10-11

よく聞く文句に「100人いれば、100通りの○○がある」というものがあります。

別に、「1000人いれば・・・」でも「1万人いれば・・・」でもいいんですけどね。要は、一人として同じものはない、というわけです。

私は、こうした言明にはいつも「ウソつけ」と心の中で突っ込んでしまいます。これは基本的な社会観、人間観になるのですが、人間は、一人一人違っているように見えても、結局あるパターンの中での違い、あるいは全体に影響しないような細部での違いしかないと思っているからです。

これはきっと、社会学を学んだ際に「類型」の考え方に触れたおかげでしょう。類型というのは、理論を展開させるために、あえて細部の違いに目をつぶってパターンを取り出したものです。個別のケースについては、類型からどこがどんな風にズレているかを考えればいい、と割り切るのです。

「100人いれば・・・」などと言って類型論を端から試みないのは、あえて言えば知的怠惰だと思いますよ。「天が下に新しきことなし」という格言がありますが、人間社会に生じることなんて、おおよそパターン化できないものはない、と決めてかかった方が賢明です。類型論を諦めるのは、どれだけ試みても無理だとわかってからで、遅くありませんから。

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