古典が埋もれる

投稿者: | 2010-11-26

昨日は三島由紀夫の命日でした。

衝撃的な死に方をしたので、彼のことは今でもメディアで取り上げられます。でも実際問題、彼の作品を読んだことのある人は微々たるものではないでしょうか。

私が常々思うのは、年々世に流通する情報量は増えていて、その分、過去の作品に触れる機会も時間もとぼしくなっている、ということです。これはもちろん私自身の体験から来る感想ですが、多くの人が同様に感じているのではないでしょうか。

「・・・離れ」と安易に言うのはよろしくありません。ただ若者に限らず現代人の「古典離れ」は、着実に進行しているように思います。

考えられる弊害としては、そんな時代には作り手も受け手も皮相になる危険性があるということが挙げられます。同時代性に左右されやすくなり、時代の風雪に耐えるようなものは生まれづらくなってくるんじゃないでしょうか。

ただ個人としてはチャンスでもあります。古典に親しんでいれば、それだけで同時代人に対して優位に立てる面もあるからです。昔の旧制高校では、意味もわからず難解な哲学書・文学書を読むのがたしなみだったと聞きますが、今の時代、そんな教養を求める学生は、絶滅危惧種でしょうね。

格差は、こうしたところにも生じるのではないか、という気がします。つまり、教養の格差、知的キャパシティの格差とでも言うべきものが。

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