性善説と性悪説

投稿者: | 2010-12-13

古代中国の頃からの対立ですね(笑)。

ただ私は、これは学説や思想の対立というより、もっと根本的な人間観、社会観といったものの対立なんだととらえています。本人が学習や思索によって到達したもとのいうより、人生のかなり早い段階で獲得される「構え」のようなものなんじゃないでしょうか。もしかすると、生まれたときにはすでにどちらの側か、決まっているのかもしれません。

私自身は、性善説の側です。世の中に悪人なんていない、とまでは思いませんが、基本的に人というものは善き性質を持っているものだと思っています。また、他人を疑うのではなく、まずは信じてみる、というのが基本的なスタンスです。疑うに足る十分な根拠でもない限りは。

一方、世の中には性悪説をお持ちの方も、かなりいらっしゃるようです。上の記述を裏返して書けば、「基本的に人というものは悪しき性質を持っているものだと思っている。また、他人を信じるのではなく、まずは疑ってみる、というのが基本的なスタンス。信じるに足る十分な根拠でもない限りは。」と言った感じでしょうか。

世の中に、性善説・性悪説、それぞれの持ち主がどれくらいいるのか、見当も付きません。中には、どっちつかずの人(一概に悪いこととは言えませんが)もいることでしょう。はっきりしているのは、両者が対話するのはひどく困難であること、そして大人になってからの「転向」はほとんどありそうにないということです。

私自身は、性善説の持ち主で良かったと感じます。自分がイメージする幸福は、性善説に立たないと得られないような種類のものですから。ま、そんな風に感じることも含めて性善説的ということになるんでしょうけど。

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