なぜか最近、「ネット墓地」がらみの記事をよく見かけます。
あとから出た記事は、先の記事を参考にしている可能性、大ですけど。
asahi.com(朝日新聞社):ネット墓地、専用ページに遺影や戒名 東京の寺、考案 – ネット・ウイルス – デジタル
お墓を持たずにネットでお参り 「ネット墓地」に対するユーザーの意外な反応:株/FX・投資と経済がよくわかるMONEYzine
ネット上に、お参りのできる「お墓」を設ける。構想そのものはネット初期の時代からありますし、有料でサービスを提供しているところもいくつかあります。でも、正直、あまり広まっているとは言えませんね。なぜでしょうか?
対象となる「潜在顧客」が、ネットをあまり使いこなせていない、というのは大きな理由でしょう。でもそれだけではなく、旧来の石のお墓のイメージを変に引きずっていて、何か「子供だまし」のような感じがすることも大きい、と私は推測しています。
線香を焚くとか、お花を供えるとか、そういうことはどうでも良くて、ネットの持ち味を活かした追悼のスタイルが求められているのではないでしょうか。故人のブログがそのまま開かれていて、結果としてそこが追悼の場になっている、ということがよくあります。必要なのは「仕掛け」ではなく、「場」なのだと思います。
ネット大好きの私でも、さすがに骨はどこかへ全部撒くなり処分して、あとはネット上にデジタルな存在として残り続ける、というのは味気ない気がします。物理的な埋葬や手元供養と並行する形で、デジタルな追悼の場がある、というのが多くの人にとっては現実的な解なのではないでしょうか。これからは人々のネットを通じた交流がますます盛んになることでしょうし。
ネット上の追悼の場としてどんなものがふさわしいかは、今後もしばらくは模索が続くことでしょう。またそもそも故人の生前のありさまによって、よりふさわしいやり方というのも違って当然です。ともあれ、今あるような「ネット墓地」はいつまで経っても際物の域を脱することはできないでしょうねー。