親亡きあとに・・・

投稿者: | 2011-02-10

少し前に、知的障害の子を持つ老親が、自分の老い先を案じるテレビレポートを観ました。

今は自分が世話しているからいいけれど、体の自由が利かなくなったり、介護が必要になったら。ましてや、自分が死んだら。「この子はどうなるのだろう」と考えると、死ぬに死ねない、というのです。何とも切ないお話でした。

ひきこもりやニートなど、親の財産や年金で生かしてもらっている人々にも、似たことが言えます。親が倒れると、いわば共倒れになる恐れがあります。現に、親が亡くなっていながら、年金がもらえなくなると困るので、死亡届も出さず葬式も挙げずに親の遺体・遺骨と暮らしている、というニート、ひきこもりは全国に何人もいることでしょう。

障害のある子の場合には、親の死後社会が面倒を見ることに反対することは考えられません。心配されるとしたら、制度や体制の整備が追いつかない、ということでしょうか(それも困ったことではありますが)。

一方、ひきこもりやニート、その他多少なりとも自らの責任で悲惨な境遇に陥った人については、話は簡単ではありません。今でも生活保護に風当たりが強い日本社会です。福祉の資源が限られている中、彼らを救済すべし、という主張はあまり盛り上がらないのではないでしょうか。結局、民間の慈善活動によって救われない限り、悲惨な末路(たとえば餓死とか、切羽詰まっての強盗とか)を迎えることになるケースが少なくないでしょう。親戚や近所などに助けてくれる人がいれば別ですが、そういうのは考えにくいですし。

我々は今後、いろんな点で「福祉の選択と集中」を迫られることになるでしょう。そこからこぼれ落ちる人の「悲惨」をどう最小化するのか。かなり困難な課題と向き合うことになりそうです。シビアでハード、とでも申しますか。

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