仕事と生き甲斐について

投稿者: | 2008-08-07

「住 太陽のブログ」の2つのエントリを読んで、ある面では共感し、ある面では強烈な違和感を感じました。

僕は仕事人間だった。でも今は違う(住 太陽のブログ)

そして今の僕は、仕事を制限し(食えるだけの収入があればいい)、その代わりに、旅行したり小説を読んだり、ゆっくりと流れる時間を楽しんだりしています。今の生活をはじめたときは、従来の生活とのギャップが激しすぎたために、ダラダラ過ごすことに対して言いようのない焦燥感に苦しめられたり、自分の弱さを嘆いたりもしましたが、そうした気分は時間と共にやわらいでいきました。

自分に合った生き方、ライフスタイルを見つけつつあるという喜びや自負がうかがえます。モーレツに働いた時期を経ての到達点だけに、ゆるぎないものなのでしょう。

守銭奴どもの言説にはホントついていけない(住 太陽のブログ)

人生における時間が限られたものであるのに、銭豚になること、奴隷として最適な自分になること、自分を高く売るための準備に人生の時間の大半を費やすこと、などのために消費する時間を、今の人たちは不毛なものだとは思わないんでしょうか。みんなそんなこと本気で言ってるの? それって本当に人生の成功と言えるの? もしかして覚醒剤中毒? それか躁病か何か?

こちらはやや過激です。「守銭奴」「奴隷」「拝金豚」などの罵り言葉が多用されます。自分の価値観に自信があるなら、なぜここまで攻撃的になるのか、少し不思議ですね。

さて私はふたつの記事をはてなブックマークのホッテントリを通じて知り、読んだ順番は上に掲げた通りだったのですが、エントリされた順番はその逆だったんですね。最初に過激な一般論をブチ上げて、その後に自分語り。確かにこの方がモノの順序として自然です。

では以下に、2つの記事に触発されての私の意見。

・仕事は他の人の役に立ってこそ
どんな仕事であれ、他の人の役に立っていますし、またそうあらねばなりません。最終製品やサービスを提供する人はもちろん、社内の間接部門で働く人やBtoBのビジネスに従事する人も、仕事は人の役に立ってこそナンボ、なのです。2つのエントリにはこの視点がまったく欠けていると言わざるを得ません。特に「守銭奴」の方は。人が働く動機って、金儲けだけ、じゃないでしょ。

・仕事で成果を生むには、やはり必死でないと
そんな仕事ですが、何らかの成果と呼ぶに値するものを生み出すには、時間・エネルギー・知恵を一定量以上投入しないとお話になりません。その意味で、安易に「仕事と私生活の両立」を語ったり、ましてや仕事より趣味や家庭を「自分らしさ」の源泉と考えたりするようでは、仕事でまともな成果など期待できるはずはありません。

・ただモーレツに働けばいいというものでもない
とはいえ、いわば狂ったように働くだけが能ではありません。いかに最小の労力で最大の成果や価値を生み出すか、というのも忘れてはならないポイントです。そのためにこそ、自己啓発やライフハックのたぐいを、うまく活用すればいい。何の工夫もなく長時間労働し、そのために心身の健康を害したり私生活がボロボロになったりするなど、愚の骨頂でしょう。

・「何によって憶えられたいか」の答えは、大部分仕事でこそ
さて結論。人(特に男性)が生きる甲斐を持てて、「何によって憶えられたいか」という大事な問いへの答えを見いだせるのは、通常は仕事によってこそだと思うんです。後者は「人徳」のようなものによっても可能でしょうが、誰にでもできることではない。やはり自分がこれと決めた仕事に打ち込まないと。そのためにも、人はいくつになっても、「天職」を見つけるためにとことんあがくべきなんです。

「違う価値観を尊重する」というのは確かに大事です。ですが申し訳ないが、社会のみんな住太陽氏のように消費生活に耽溺しているようでは、退廃というか堕落と言わざるを得ない。第一、そんな甘い考えのヤツに仕事を頼んだり、一緒に仕事したりしたくないでしょ。なので、ごく少数の人がこう考えたり生きたりする分にはとやかく言うつもりはありませんが、これが社会の多数派になるようなら、私はそうした風潮と断固として闘いたいと思います。まあ、そんな心配はないものと内心では楽観していますが。

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