「安全厨」から「危険厨」に告ぐ!!(2)

前回は、放射性物質についての「物言い」でした。今回は、原発について。

福島第一原発の事故と、それに継ぐ浜岡原発の停止によって、我が国の原子力発電は「風前の灯火」の状態にあると言っていいでしょう。定期点検などで停止した原発が改めて再稼働できる見通しは、ほぼ絶望的です。

このまま行けば、2年足らずのうちに我が国で稼働している原発はゼロ、ということになりそうです。この夏が猛暑になり、電力不足が想像以上の悪影響をもたらしたり、大停電でも起これば、「なんで原発を動かさないんだ!」という話になるかもしれません。でも今のところは、そうなる可能性は必ずしも高くないと思います。つまり日本は、いわば「サドン・デス」のような形で脱原発にばく進しているんです。

でも、果たしてそれで良いんでしょうか。

「安全厨」たる私からは、二点について疑義を呈しておきます。

電力不足の弊害
まずは、電力不足が経済の足を引っ張り、それによる不景気が結果として電力需要を押し下げる恐れがあるということ。「危険厨」の人たちは、「ほら見ろ。原発なしでもやって行けるじゃないか」とうそぶくかもしれません。でもそれが、産業の空洞化、倒産の増加、失業率の増加、財政赤字の拡大などをもたらすとしたら・・・。

「原発を停める」ということを全てに優先させ、経済の息の根を止めることになるとしたら、やはり常軌を逸していると言わざるを得ません。原発が事故を起こして放射性物質をまき散らすかも、というのはあくまで「起こるかも」という蓋然性の話です。でも電力が産業や社会生活の制約となり、経済成長の足を引っ張るというのは、ほぼ必ず起こるであろう必然の話です。

原発にもイノベーションを
今回、福島の原発が事故を起こしたことは残念なことです。痛恨と言ってもいいでしょう。でも「直ちに一切の原発を停めよ!」というのは、やはり短絡的じゃないでしょうか。今回の「失敗」を糧として、さらに事故の起こりにくい原発を模索する、という選択肢だってあり得るはずだからです。

もちろん、コストなどの面で他に有力な電力源があれば、原発だけにこだわることはありません。でも反対に、のっけから原発には未来がない、と決めてかかるのも愚かではないでしょうか。あのビル・ゲイツだって、原発には注目しているんですよ(笑)。

ASCII.jp:ビル・ゲイツのねらう原子力のイノベーション|池田信夫の「サイバーリバタリアン」

再生可能エネルギーが環境にいい「政治的に正しい」技術であることは事実だが、正しい技術が収益を生むとは限らない。そのコストは化石燃料の10倍近く、不安定で供給量にも限界がある。電気代の3倍近い補助金がないと採算が合わない。もちろん今後イノベーションの余地はあるが、世界中の企業が競って参入している分野で収益を上げることは容易ではない。

それに対してゲイツによれば、原子力は昔の通信産業のように古い企業に独占され、強い規制に守られてきたため、ほとんどイノベーションがなかった。収益は技術進歩によって生まれるのではなく、消費者の需要と市場で提供される技術のギャップから生まれる。原子力の需給ギャップは非常に大きく、収益機会が大きいという。

イノベーションとは単に新しい技術を開発することではなく、それをビジネスとして実現し、収益を上げることだ。その観点からいえば、役所やマスコミのもてはやす政治的に正しい技術には、ビジネスとしての魅力はない。みんなと同じことをやっても、収益は上がらないのだ。世界最強のビジネスマンであるゲイツが常識を疑い、あえて原子力に投資する姿勢は、イノベーションとは何かについて重要な示唆を含んでいる。

ともあれ、原発についてはもう少し冷静な議論を望みたいですね。今のままでは、原子力に関わる工学の道に進む若者は絶無となり、結果として我が国は自前で原発を操業することができなくなるかもしれませんよ。それが、「反原発」の人たちの狙いでもあるかもしれませんが。

軍事力についても核兵器についても、戦後の日本人はアレルギーを持ってきました。いわば「羮に懲りて膾を吹く」だったのです。そして今またこうして原発アレルギーをせっせと養い始めています。長い目で見たときに、これが日本にとって「得」になるとは、私にはあまり思えないのです。

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