災害体験

投稿者: | 2011-06-15

中学一年生の時、100名以上の死者を出す水害を体験しました。

「昭和58年7月豪雨」と言われる豪雨によるものです。

1983年(S58年)の水害7月20日~7月23日

7月20日から21日にかけて、低気圧が日本海を進んで梅雨前線の活動が活発となり、23日にかけて本州の日本海側を中心に大雨となった。特に島根県西部の浜田では、1時間降水量91.0mm(23日)、日降水量331.5mm(23日)を観測するなど記録的な大雨となり、山がけ崩れ、土石流、洪水が相次いで発生し、100名を超える死者・行方不明者が出た。

典型的な梅雨末期の集中豪雨であり、気象庁は『昭和58年7月豪雨』と命名した。

朝起きる頃には、既に大雨。一家で近くのお宮に避難しました。市内を流れる川が氾濫し、結果、私の家も床上数センチの浸水被害を受けました。

水害そのものは一日の出来事でしたし、当時はまだ子供です。また自宅復旧の邪魔にならないよう、水害後、広島県の親戚の家にしばらく「疎開」していました。その点で、災害そのものについては必ずしも「当事者」だったわけではありません。

ただそんな幼い頃に災害を経験したことで、自然の脅威・猛威とでもいうべきものは身をもって実感できたことと思います。当時すでに確固とした価値観ができていたとは思えませんが、私が文明観、人生観を形成する上で、この水害が少なからず影響したのは間違いないと思います。

そしてこの体験の「副産物」として、集中豪雨にはある種本能的な恐怖感を覚えるようになりました。トラウマというほど深刻なものじゃありませんが、災害から30年近く経つ今でも、その感覚は弱まったようには思えません。

さてそんな自分から見て、今度の東日本大震災における津波の惨劇は、「水害なんて全然及ばない」と思わせるほどのものでした。川があふれるのと、海が陸を飲み込むのでは、似ていても大違いです。だからこそなおさら、津波の被災者の方には、掛ける言葉もない、という気持ちです。

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