脱原発で国民投票?

投稿者: | 2011-06-26

イタリアに触発されて、「日本でも、原発の是非を問う国民投票をしよう!」と呼びかける向きがあります。

性急な脱原発には断固反対で、新型の原発を建設することもあっていい、と思っている私です。けれど、今回それは措いておきます。純粋に、「原発の是非」を国民投票にかけることの是非を考えてみましょう。

国民投票は憲法違反
日本国憲法は、代議制を定めています。例外は、憲法を改正する時の国民投票だけ。従って今の憲法の下では、原発とか何とかに関係なく、個別の政策の是非を国民投票にかけるのは、憲法違反ということになります。よって国民投票をするには、それに先立って憲法を改正しなければならないのです。

脱原発の国民投票を呼びかける人たちも、そのことは先刻ご承知です。それで法的な強制力のない意見具申のようなものとしてやろう、と言っています。でも実際には、国民的に投票して出た結果に国会が逆らえるはずもなく、実質的に強制力を持つのは明らかでしょう。名目だけ変えて、実質憲法違反をしようというのは、あまりに姑息でしょう。

今回国民投票を呼びかけている人たちの多くは、いわゆる護憲派だと思われます。そのため、片方では憲法を尊重すると言いつつ、他方では憲法違反の行為を推進する、という矛盾に陥ってしまっています。下記に述べるように、私は国民投票の制度化そのものに懐疑的なのですが、もし憲法を変えるというなら、他の「欠陥」についても改正をしたいものです。

個別の案件を国民投票にかけることの弊害
さてそもそも、個別の案件を折に触れ国民投票で決める、というのは好ましいことでしょうか。自分は、これについても懐疑的です。原発うんぬんではなく、国民投票というアイデアというか仕組みそのものに対して。

その理由を一言で言えば、国民の過半が認めない政策は、国民投票でことごとく止められてしまうということです。そして現実には、投票率が100%になることは考えられませんので、たとえば国民の3~4割の意思表示が拒否権を持つ、ということになるのです。下世話な言い方をすれば「国民が嫌がる政策は、一切成り立たない」ということになります。

国民投票の制度化によって、国民の政治や社会への関心は高まるかもしれません。ある種の「教育的効果」があり得ることは認めましょう。でもそれが、国にとっての様々なマイナスを上回るとは私には思えないのです。

将来この意見は変わるかもしれません。けれど今の時点では、国民投票の制度化についての賛否を問われれば、明確に「否」と答えます。

脱原発で国民投票?」への1件のフィードバック

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