個人情報過保護に物申す!

投稿者: | 2008-05-10

今の世の中で私がイヤだと思っているものの一つに、個人情報保護の行き過ぎ、つまり過保護の風潮があります。

個人情報というものに人びとが極度に敏感になったため、氏名や住所、電話番号といったものを開示することに慎重な人が増えてきました。時折明らかになる個人情報流出事件が、それに拍車を掛けているようです。

でもこれについては、私は次のように考えます。人が社会生活を営む以上、個人情報をいささかなりとも表出することは避けられません。個人情報をできるだけ出したくないなら、どこか山奥にでもこもって、孤独に暮らすがいい。

まあそれは大人げない言いぐさですが、個人情報をできるだけ伏せようとする人は、それに伴う社会生活上の不利益も甘受してもらわなければ困ります。あくまで我々の社会は、社会生活に必要な範囲で、個人情報をさらすことが前提にならないと。学校のクラス名簿や団地の住民名簿が作れないとか、病院で病室の表札がなくなるとかは、明らかに行き過ぎでしょう。

さて、私の問題意識はそのさらに先にありまして、個人情報を積極的に開示することで、人生の可能性を広げられるようにならないか、なんてことを考えたりしています。いろんな情報を企業に提供することで、より自分に合ったサービスが受けられるとか、遺伝情報など健康に関わる情報を提供することで保険会社から優遇(もしかしたら冷遇)されるとか、お金の出入りを税務当局にオープンにすることで税率の優遇を受けられるとか。

私の想像力に限界があるために上記程度の例しか出せませんが、これだけは言えます。情報通信技術の発展に伴って、情報が価値を生む可能性が広まる。そうした社会では、より多く自らの情報を提供する人ほど、より多くの価値を受け取ることができるのだ、と。

そんな社会では、自分の情報を極度に出し惜しみする人は、今の社会以上の守銭奴なみ、あるいはそれ以上に愚かな存在と見なされるでしょう。あるいは、「どうせ自分に自信がないのね」と見なされて相手にされないか。

いずれにしろ、個人情報保護なんてバカげた風潮は、一過性のものだと思いたいですね。

個人情報過保護に物申す!」への1件のフィードバック

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