「お別れ」という営み

投稿者: | 2011-08-10

前回、「今の葬儀のあり方を毛嫌いするあまり、お別れという営みそのものが軽視されるとしたら残念」と書きました。その続きを。

家族であれ、友人であれ、仕事仲間であれ、ご近所さんであれ、何らかの関わりを持った人を喪うことは、人生において大きな出来事です。寂しさを覚えるでしょうし、その後その人のいない人生を生きていかねばなりません。「お別れ」は、その節目、そして(ふさわしくない言葉ですが)スタートとなる営みです。

形式として葬儀の形を取ろうが取るまいが、きちんとした「お別れ」であれば、次のような機能を果たすはずです。

  • 遺体をしかるべきところへ葬る
  • 故人の死を心底から受け入れる
  • 故人の面影や思い出をしっかり胸に刻む
  • 故人なき人生の第一歩を踏み出す
  • 故人に縁のあった者どうしが関係を再確認、あるいは再構築する

加えて、いずれ来る自分自身の死への予行演習、というか覚悟を決めさせる効果も、小さくないでしょう。祖父母が孫に自分の死を見せることは、最高の教えになると思います。

もちろん、これらが一日や二日の「式」で満足に達成できるはずはありません。「お別れ」は、時間と回数を要する「プロセス」と考えるのが妥当です。そのまま踏襲するかどうかはともかく、日本の年忌法要の習俗が人の心に即した、ある種の知恵を含んだものであるのは間違いありません。

人は人との関わりの中で生き、幸せを見いだし、時には苦しみます。大切な人との「お別れ」より大事なこと、優先すべきことなんて、他にあるでしょうか。葬儀が要るかどうか、なんてのは不毛な議題です。「どんなお別れが良いのか」を互いに語り合いましょうよ。とことん真面目に。

さて最近、そんな考えの私にとってとても共感できるブログ記事を見つけました。葬儀社の社長さんが自らの事業のビジョンを述べたものです。

家族を大切にするためのサービスを主軸とした業態|葬儀社は、要らない?-エポック・ジャパン社長のブログ

当社は、もともと葬祭業者だったから家族葬のサービスをスタートさせたわけですが、私自身の実体験から「家族の大切さ」というものに想い至った。

結果、現在は 「家族を大切にするためのお手伝いの一つとして、家族葬のサービスを提供している」と考えるようになりました。

そう考えれば、実に幅広いサービス提供ができることになります。

今すぐ無秩序に拡げていくことは考えていませんが、これからは「葬祭業」という枠組みから 「家族を大切にするためのサービスを主軸とした業態」へと転換していくことになります。

エポック・ジャパン、注目しておこうと思います。

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