ジャーナリストの佐々木俊尚氏が、昨日Twitterで熱いツイートを連発していました。
半ば怒り、半ば諦めるような感じで。
グローバリゼーションにはついていけず、政治をマスコミと一緒に罵りあいながら適当に滅びていってくれればいいんじゃないかな。真の格差社会が到来してきてるのかもしれない。
もう今や私たちは個人でこの時代のサバイブを自律的に考えていかなければならない段階にまで残念ながら来てしまったし、それにつきあうつもりのない「ないものねだり」の人たちは放っておくしかない。もう平等社会を言う段階は終わった・・。
どっちにしろ、当事者性を持たない人はもう生き残れないと思います。残酷ながら、それが現実。
まとめは、以下です。
Togetter – 「「当事者性vsないものねだり論者」という新しい対立軸 2011/08/29」
佐々木さんと私が同じ意見・同じ認識かどうかはわかりません。ただ、当事者意識のない人=ないものねだり論者が目に付くな、というのは私もつとに感じるところです。特に、民主党政権の発足後、そして東日本大震災と福島第一原発の事故後、顕著にそう感じます。
当事者意識のない人の特徴は、
- 批判しかしない
- 自分と違う考えに耳を貸さない。それどころか口汚く罵る
ということだと思います。いみじくも、佐々木氏のツイートに対してはまさにそういう人が十数人、「釣れた」ようです。
残念ながら、当事者意識のない人の批判は、「現場」では役に立たないことがほとんどです。つまりその批判は、言っている当人の自己満足を除けば、社会的な価値はゼロに等しいんです。いや、無駄なコミュニケーションの時間や労力を生んでいるという点で、マイナスかもしれません。
最近私は、こうした人を意識的にソーシャルメディア上から排除するようにしています。ブログの購読をやめ、Twitterのフォローをやめ、という風に。リアルの知人であれば、距離を置きますね。
批判するなら、建設的な批判になるように、代案や修正案を一緒に出す。当事者の立場や考えを同情的に理解する。こうしたことを意識して心がけないと、口に出すことは全部「カス」になる。私自身も、肝に銘じたいと思います。