サラリーマンの終焉

投稿者: | 2008-05-10

あと何十年先になるかわかりませんが、サラリーマンは滅びると思います。

サラリーマン(又の名を「社畜」といいます)とは、会社に自分の時間や労力を捧げる代わりに、安定した賃金と身分を得ている人びとのことです。これまでは会社と従業員の双方にそれなりにメリットがあったから、こうした働き方が理想とされてきた。でも、これからはそうじゃないんですね。

まず会社の側からすれば、決められた時間会社にいて、与えられた仕事だけをソツなくこなすというだけでは、「人材」あるいは「人財」と呼べない。そんなのは低コストの派遣社員やアルバイト、あるいは外部の業者に委託すればいい。会社のコアとなる人材は、自ら考え行動し、価値を生み出してくれないと困るんです。

一方働く側。有能な人間ほど、これまでのサラリーマン的な価値観や働き方に飽き足らないものを感じるでしょう。サラリーマンという身分にしがみついている者はみな、自分の能力に自信がなく向上心もない者たちだけ、ということになりつつある。

では今後、企業などで中核的な存在として働くビジネスマンは、どうなるでしょうか。まず、数年単位という有期の、期待される職務のはっきりした雇用契約が結ばれるようになる。満足な成果がなければ、契約の更新はない、ということを含んで、です。

報酬は当然、成果主義が原則となります。ただそれは個人の職務成果だけではなく、部門や会社全体の業績も加味されます。過度の個人主義的成果主義が、弊害に満ちているのは明らかだからです。

一方で、社員には働く部門を選ぶ権利、上司に意見具申する権利、会社の情報を知らされる権利などが与えられます。

従業員に過酷な体制のように思われるかもしれませんが、そうでもありません。経営陣もこれまでのように命令すれば下が唯々諾々と従う、ということを期待できないからです。従業員を納得させられないような経営方針を出したのでは、現場が動かないので、満足な価値を生み出せない。そんな経営者は、株主から早晩更迭させられるでしょう。

会社は、これまでとは比べものにならないほど、緊張感のある場になります。すべては、メンバーの持てる時間、労力、知的能力といった資源を、「顧客にとっての価値を最大化する」という企業の本分に振り向けられるかどうかにかかっています。どの業界でも、競争はますます激しくなります。対応できない企業は、淘汰されるのみですね。

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