若者の尾崎豊離れ?

投稿者: | 2011-10-25

先日、中日新聞のコラムを読んで少しショックを受けました。

中日新聞:中日春秋:コラム(CHUNICHI Web)

四万人近いファンが葬儀に参列したカリスマの死から、もう十九年になる。若者の孤独と怒りを歌い、人気絶頂の中、二十六歳で急死した歌手尾崎豊さんを追悼する「尾崎ハウス」(東京都足立区)が、取り壊されたという記事を感慨深く読んだ

▼十代の「代弁者」といわれた尾崎さんだが、最近の若い世代には通じないらしい。ゼミで尾崎さんの歌詞を一緒に読んだ私大の教授は、失笑する学生ばかりだったことに驚いていた

▼十年近く前、精神科医の香山リカさんが学生に調査した内容を思い出す。「何を怒っているのか分からない」「ひとりよがりで不愉快」などと否定的な意見が多く、尾崎さんの歌詞に共感できるという学生は百人のうち二人だけだったという(『ぷちナショナリズム症候群』)

私は、生前は尾崎をそれほど好きではなく、よく聴くようになったのは亡くなってからです。その意味で自分にとって尾崎は、青春の音楽というよりは青年の音楽という感じです。それでも、周りに尾崎好きな人は何人かいましたし、カラオケでもよく歌いました。というか、今でも「レパートリー」の一つです。

そんなわけで、「20年も経てば、あるアーティストが古くなるのは自然なことだ」と思いつつも、何だか寂しいような、自分が時代から置いてけぼりにされるような、心細い気持ちになりました。

尾崎豊というと「15の夜」「卒業」「I LOVE YOU」あたりが代表曲とされているでしょうか。もちろんこれらも良い曲なのですが、アルバムを片っ端から何度も聞き込んだ自分に言わせれば、彼の繊細さや優しさのにじみでているバラード、ミディアム・ナンバーも、おすすめなんですけどね。たとえば「ドーナツ・ショップ」「ふたつの心」「きっと忘れない」(リンク先はYouTubeです)など。

時代の変化が速いですから、若者が古いものに共感できないのはいたしかたない面もあります。ただ文学にしろ音楽にしろ、あまりに同時代にしか関心がなく、古いもの(だけど良いもの)を毛嫌いするような風潮があるのは、残念ですね。長い目で見れば、鑑賞力も創造力も衰えて行ってしまうのではないでしょうか。

ところで、大学の授業等で尾崎豊を持ち出すのは、何だかお門違いな気がしないでもありませんねぇ。尾崎が生きていたら、それこそ失笑したのではないでしょうか。

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