供給者の論理

投稿者: | 2011-10-27

「自分はこれだけ尽くしているのに・・・」なんて、人間関係でも口にすべきではありませんが、ビジネス、仕事ではもっとですよね。

製品やサービスに価値があるかどうか、どれだけの価値があるか決めるのは、買う側です。提供する側がどれだけ頑張ったか、というのは一切関係ありませんし、「頑張り」の分だけ評価を上乗せしてもらおう、というのは恥ずべきことだと思います。

数日前にスティーブ・ジョブズの伝記が発売された際、その「値付け」が議論の的になりました。

ジョブズの本で考える、本の適正価格 « マガジン航[kɔː]

版元である講談社が批判されたのは、主に2点です。

  • 上下二巻に分けた上に、その合計価格が他の国より高い
  • 紙の本と電子版を出すのに、電子版を安くしない

他に醜悪な(?)装丁も話題になりましたけど、それは措きましょう。

「電子書籍は、紙の本より安いのが当然」と、多くのネットユーザーは思っています。何しろ、ネットでは多くの記事や情報、サービスがタダで手に入るのですから。業界の人、あるいはその理解者は「そんな簡単なものではない。電子書籍にも相応のコストが掛かる」と言います。

でもそれは、悪く言えばいいわけでしかありません。消費者の期待するものを期待する価格で提供するのが、供給者の務めなのではないでしょうか。その点で、一から十まで立派とは思いませんが、Amazonの戦略性、企業努力はあっぱれだと思います。

ちなみに私は、電子書籍は通常1セット(「1冊」ではおかしいので、こう呼んでおきます)で200~300円くらいまで下がらざるを得ないとみています。ただしその分、コンテンツは細切れになるでしょう。そしてまた、値段の付け方自体が多様化・柔軟化することになると思います。今回のようにみんながこぞって読みたがるコンテンツは、期間限定でプレミアム料金を取るというのも、ありでしょうね。

供給者の論理」への2件のフィードバック

  1. 芳野

    少々古いpostへのコメントで恐縮です。
    消費者の望むことは常に善、だろうか。という記事をpostされた方とは思えないほど俯瞰した視点を欠くご意見と感じました。
    私は電子書籍を好んで利用し、古い蔵書の自炊も行い、実店舗での書籍販売も好む人間です。特に業界事情に通じているというわけではないのですが。
    特に匿名のネット発言によく見られますが、消費者という立場がなんだかの権利者であるかのような理屈をよく見かけますがそのような立場に私は組みしません。
    消費者は単に市場のプレイヤーの一角にすぎず、盤面の支配者ではないのです。
    価格の高いに理由はなくとも安い理由は必ずあるとよく言います。
    むやみなディスカウントに走らないというのは正当な戦略であり、一つの知見であると思います。
    価値に対する正当な対価という判断のできない人が増える昨今、示された対価で十分市場が成立するのであれば安ければ買う、タダなら貰うという方々はお引き取り願うというのもありだと思います。

  2. 永岡 秀樹

    芳野さん、コメントありがとうございます。

    私もさすがに俗流に広まった「お客様は神様」というのは問題大ありと感じます。けれど、製品やサービスの「価値」を決めるのはお客様である以上、その提供者と対等とか同格ということはありえないのではないでしょうか。

    理不尽なクレームは長い目で見て消費者自身の首を絞めるので愚かだと思いますが、「こんなものがほしい」「ここをこうしてほしい」という要求はどんどん突きつけるべきと思います。そして「これくらいの価格で・・・」という要求も。

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