有名人を追悼する

投稿者: | 2011-11-01

今年は、日本人にとっては未曾有の大震災のあった年として記憶されることでしょう。

同時に、内外の有名人を多く喪った年でもあります。最近も、ケニアのワンガリ・マータイさんや、アップルのスティーブ・ジョブズ氏、作家の北杜夫などが亡くなっています。

仮に直接の交流がなくても、人生の中で刺激や影響を受けた人、あるいは仰ぎ見ていたスターやアーティストが亡くなるのは、辛く悲しいものです。死生学などでは「二人称の死」「三人称の死」といったことが語られますが、こうした有名人の死は、いわば「2.5人称の死」と言えるのではないでしょうか。

身近な人の死と同じく、我々現代人は、こうしたお別れを繰り返しながら、徐々に自分自身の死に近づいていくことになるのでしょう。ネットの時代にはネットでの有名人も多く出るようになりましたが、幸いにも私は、ブログやTwitterで親しんでいた人の死を経験したことはありません(気付いていないケースは、もしかするとあるかもしれませんが)。

さて、こうした有名人への追悼をより真心のこもったものにするには、どうすれば良いでしょうか。以下は、私なりの提案です。

故人のことを知る
その人の熱烈なファンだった、というのでない限り、故人について知っていることはきわめて断片的で限定的なはずです。死をきっかけに、まずは故人のことについてもっともっと知るというのが、先決でしょうね。

作品や生き方等に触れる
本人が書いたもの、その人について書かれたものを読む。あるいは、映像が残っていればそれを観る。「作品」を遺していれば、それを改めて鑑賞する。恐らく、その人が存命中の時とは違った味わいがあるはずです。

故人を知る人の追悼文等を読む
有名人であれば、新聞やネット等に追悼文が多く出るはずです。これからは、ブログが用いられることも多くなるでしょう。それを読み、場合によってはコメントを寄せたり、拡散したりするのも、立派な追悼でしょう。

表現する・行動する
自分で追悼のブログ記事を書く。あるいは、追悼のイベントなどがあればそれに参加する、といったことです。その有名人に対して同じように哀惜の念を持つ人とコミュニケーションすることも、これに含めて良いでしょう。

折に触れて、思い出す
最後がこれです。有名人の場合でも、身近な存在の人の場合でも、時々思い出してあげる、というのが一番の供養になるはずです。

メディアの発達により、我々現代人は多くの有名人を知るようになりました。そうした人とのお別れを大切にし、しっかり人生の糧にするということも、現代の「生きる知恵」の一つだと思うのです。模範解答のようなものはないので、自分で編み出していくしかないのですが。

有名人を追悼する」への1件のフィードバック

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