葬式で流してほしい曲

投稿者: | 2011-11-22

昨日Twitterで、こんなことが話題になっていました。

Twitterには「ハッシュタグ」というものがあって、共通の話題やテーマを語るのに利用されています。たとえば今は大相撲九州場所が開催中ですが、つぶやきに「#sumo」と付けることでこれは相撲に関するつぶやきですよ、と示すわけです。この「#sumo」が付いたつぶやきを検索・抽出することも当然できますので、相撲観戦をしながらTwitterを見れば、さながらみんなでテレビの前でああだこうだ言いながら楽しむような感じになるわけです。

最近は、このタグに日本語を使えるようになりました。それでハッシュタグの使い勝手が向上したのはもちろんですが、さらに日本語ハッシュタグは、大喜利のお題のようなものとしても使われています。この辺が、日本文化の潜在力だと思いますねぇ。

※Twitterをやっていながらハッシュタグを使っていない人、あるいはそもそもハッシュタグというものを知らなかったという人がいたなら、この機会にぜひ使い方を覚えてください!

さてその日本語ハッシュタグで昨日「#自分の葬式で流す曲」というのが登場、多くの人が自分の葬式に流してほしい曲をつぶやいていました。多くの人は真面目に、そして何人かの人はジョークのネタとして。Twitter上の「ネタ」というきっかけであったとしても、こうしたテーマについて考え、そして自分の意思を表明するのは、基本的に良いことだと思います。望むらくは、各人が「なぜその曲を望むのか」といった背景についても語り、それも踏まえた上でみんなで意見交換すると、もっと有益でしょうね。

昨日しばらく「#自分の葬式で流す曲」タグを追っていて思ったのは、そこに挙げられる曲が多分に個人的好みに過ぎず、葬式に来るであろう人にとってはあまり意味や価値が感じられないのではないか、ということでした。実際に使われれば、その機会に「思い出の曲」となることもあるでしょうけど、多くの人の発想、さらにはそれ以前の音楽生活みたいなものが、他者(とりわけ世代の違う他者)から切り離されている、と痛感したことでした。

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