良い遺言の条件

投稿者: | 2011-11-23

11月15日は「いい遺言(いごん)の日」でした。

それにちなんで、というわけでもないのですが、良い遺言の条件を考えてみたいと思います。なお、ここに言う遺言(ゆいごん)は、法的なものもそうでないものも引っくるめています。

本人の意思や意図が明確に伝わること
まず、これが遺言の目的ですので、これを果たせない遺言では用をなしませんよね。また、「どうしてほしいか」に当たる意思は十分に伝わったとしても、「なぜそうしてほしいか」に当たる意図がきちんと明らかにされていないと、内容がきちんと伝わった、とは言えないと思います。

その意味で遺言は、ある程度詳細なものとならざるを得ないでしょう。簡潔すぎて何のことだかわからない、というのは困りものです。一方、細かければ細かいほど良いかというと、そうとも言い切れません。読む側、受け取る側が混乱するおそれもあるからです。やはりここは、簡にして要を得たものであることが一番です。

書く側と受け取る側の関係を向上・改善するものであること
上記は「用事」に当たる側面ですが、遺言にはもう一つ、大事な機能があります。書き残されることによって、家族らとの絆を強め、故人への理解を深める、という点です。メッセージとかラブレターと言われるのも、理由のないことではありません。遺言そのものが、遺された家族には大切な形見となり得ますし、またそうあるべきなのです。

いくら用事を伝えるのには優れていても、この点が欠如した遺言では「物足りない」と言わざるを得ませんね。逆に家族を悲しませたり、怒らせたりするようなものでは、お話になりませんが。

この2つの条件を、ともに一定以上のレベルで満足させるものは、「良い遺言」と言っていいでしょう。受け取る側も、きっと故人に感謝の念を持つでしょうし。本人の人柄や家族関係によって具体的中身は違ってきますので、これ以上のことは一般論として語ってもあまり意味がないかと思います。ともかく、こうした良い遺言が一通でも多く書かれることに、私自身も役立てたら、と思います。

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