戒名を自分で付けるということ

投稿者: | 2011-12-05

先日亡くなった立川談志が、(ほとんどシャレで)自分の戒名を自分で決めていたことが話題になりました。

戒名を自分で付ける。これをどう考えたら良いでしょうか。

まず「自分で付ける」と言っても、大きく分けて二種類あります。自分で選び、それを僧侶など仏教側に認めてもらうもの。もう一つは、僧侶や寺とは無関係に自分で勝手に決めるもの。前者を「自選戒名」とすれば後者は「勝手戒名」といったところでしょうか。

前者は、もしそれを僧侶・寺が認めてくれるなら、意味のあるものとなります。その後の供養にも、その戒名が用いられるでしょう。ただそもそも、そんなものを坊さんが認めてくれるのか、という疑問があります。何しろ、貴重な収益源(笑)ですからね。よほどお坊さんとの間に信頼関係があり、他の機会にちゃんと金銭的貢献もしているのでない限り、自選戒名を認めてもらうのは難しいのではないでしょうか。

もう一つの勝手戒名の方は、ある意味で話は簡単です。寺のあずかり知らぬところで決めたものですから、そののちの供養は寺と無関係に行うことになります。ただそうなると疑問なのは、そこまでして戒名を付けて何の意味があるのか、ということです。考えられるのは、教義としての仏教には惹かれるが、制度としての寺とは付き合うつもりがない、といった人の場合でしょうか。

仏教を信奉する人がそういった心境になるものかどうか、私にはわかりませんが。

仏壇や位牌のない家は、既に珍しくないことと思います。今後葬式やお墓等にも仏教色が薄れていけば、「戒名なんて必要か?」「単に寺を儲けさせているだけじゃないか」といった反発が強まり、戒名離れが進むのは確実と見ます。ヘンテコな戒名を付けた談志の真意はわかりませんが、戒名なんてアホくさい、という機運を盛り上げるのに多少の貢献はあったのではないでしょうか。

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