津波で家族を喪うということ

投稿者: | 2011-12-25

先日、「震災遺児」をテーマにしたNHKスペシャルを観ました。

いろんなシーンに胸を衝かれたのですが、特に印象的だったのが、子供も他の家族も生き残ったことに負い目のようなものを感じているということ。避難の過程で「自分を助けるために、あの人たちは死んだ」と認識しているケースが少なくないようです。あるいは「自分が何とかしてやれば、命を救えたのに」という強い悔い。

突然の災害で家族を喪うというだけでもひどい痛み・悲しみなのに、その死(の幾分か)に自分も責任があると感じているとしたら・・・。その苦しさたるや、私などにはとても想像が及びません。

同じ災害でも、避難のタイミングや行き先で明暗の分かれたりする津波災害というものが人にとっていかに残酷か、改めて教えられたような気がします。東日本大震災のことを「大震災」とか「震災」と簡単に言いますが、何より津波の災害だということを、肝に銘じるべきですね。

そしてこの点では、たとえば交通事故の加害者や、戦争で生き残った兵士も、似たような「十字架」を背負っているんだろうな、と感じたことでした。他人の死に対する責任や負い目を感じながら生きていく。それは身近な者でも共有できない部分かと思います。簡単に「わかるよ、その気持ち」なんて言ったら、むしろ反発を買うだけでしょう。

そう言えば、亡くなった祖父も私が子供の頃、酒の席などで戦友が亡くなる光景に立ち会った話をしていました。祖父はビルマの戦線に出征していたと聞きました。詳しい話は忘れましたが、家族ですら入り込むことのできない「心の闇」を変えながら戦後の長い人生を生きていたんだと、今にして思います。

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