なぜ、生前準備から逃げるのか

今日、もう一つのブログ「遺言ニュース」で紹介した記事。

終活・エンディングノートに関する調査。49%がエンディングノートを「書いてみたい」。 – リサーチバンク – 自主アンケート・調査結果レポート

※遺言ニュースの記事は、こちら

男女を通じて半数の人が、エンディングノートを「書いた」「書いている」「書いてみたい」と答えたのは、心強い結果です。遺言はそれに比べると、はるかに関心が低いようですね。とはいえそれでも、半数の人は「書くつもりがない」。「書いてみたい」という人も含め、3分の2くらいの人は一度もエンディングノートを書かないまま、人生を終えるんでしょう。

中でも自由回答欄での「生前準備不要論」とも言うべき回答は、私には痛烈でした。

  • 生きた証を残す事に興味は無いし、残された人を拘束したくないので、自己満足的な「終活」はしたくないと思っています。(兵庫県:60代男性)
  • 後々のことを考えて、いまからすべてを整理しようなんて考えたこともない。先のことを何かに記したら、その内容にそれだけ拘束される。老いの時間をそんな風にはすごしたくない。(北海道:70代男性)
  • 死ぬときは、特に何も残す必要はない。後のことを指図する必要もない。今の自分をしっかり生きるつもりだから。(山形県:60代女性)
  • 死後のことに興味はありません。私の財産については、争いの起こるほどのものはありません。私の親の場合も、兄弟で話し合って決めました。そのようなやり方で十分です。(愛知県:60代男性)
  • 何のためにエンディングノートを書いたりするのかが理解できない。自分が死んだら後は適当に生きてる人が処理すればよいと思う。誰でも死んだらゴミになるんです。(神奈川県:60代男性)

「後のことは家族に任せるから必要ない」「時間の無駄」「家族を拘束したくない」といったことが理由のようです。私に言わせれば、誤解や偏見が相当ありますね。それは肯定側の人の意見と比べれば、一目瞭然です。要は、食わず嫌いなのです。もちろん、この人たちに生前準備を無理強いすることはできませんが。

ただこれは、我ら生前準備を提唱する側にもいくらか責任があるでしょうね。伝え方を考え直さなければならない、と感じます。生前準備の必要性や、生前準備をやる意味がゼロ、という人はいないでしょうから。健康で頭が普通に働く大人であれば、何かしらの準備をしておくのが、務めでもあり、人生をより良くするための必須項目だとも考えますので。

なお、上記のような否定的な回答をした方々は、実は「面倒くさい」とか「死を直視するのが怖い」というのが本音で、書いていることはそれをカムフラージュするための口実ではないのか、という気もします。ま、意地悪な見方かもしれませんが。

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