文化を映像で遺す

投稿者: | 2005-12-24

映像職人’舞’録゛の映像職人kabaさんが、文化を映像で遺すということについて、ビジョンを語っておられます。

後継者のない文化・技術を撮影して、後世のために遺しておく。
(中略)
後継者は、はるか後世に出てくる可能性もあるのである。もし、そうした過去の後継者に、さまざまな文化・技術を伝えるべく映像が残されていたなら、復元の作業ははるかに楽になるのだ。

地域にある文化や技術を、個人のクリエイターが撮影しておく。そうしたライブラリがあれば、いつかそれが陽の目を見て、思わぬところから後継者が出てこないとも限らない、と。

聞き書きなんかでもそうですが、そうした部分にプロが関与して、取材・編集を担うことには大きな意義があると考えます。素人(特に現在のお年寄り)の表現力には限界がありますから、素材をある程度料理した上でないと、第三者の鑑賞に堪えるものにならないでしょう。

ともあれ、ネットや映像を介して見知らぬ人が後継者になる、というのはとても魅力的なビジョンです。価値観や嗜好が多様化している昨今、身近に良き後継者がいる保証はありません。であれば、せめてその技や想いを文字や映像として記録しておき、いつか現れるかもしれぬ共感者を待つしかないでしょう。

私が提唱する「遺言」も、究極的にはそうした見えない後継者に宛てて書かれることを想定しています。遺言の究極のテーマ、それはその人の人生が生涯掛けて追い求めてきたものを次の世代の誰かに託す、ということだと強く思っています。

文化を映像で遺す」への2件のフィードバック

  1. 映像職人'舞'録゛

    「文化を映像で遺す」ということの意味

    なんか、久々に映像文化を語ってみたくなった。注目しているブログに、ITmedia+D Blogのメディアコンサルタント西正さんのブログがある。そのブログの最新エントリ「放送を文化と考えた理由(1)」を読んで考えた。地方に行くと、本当に人間国宝に至らないものの、それ….

  2. 映像職人'舞'録゛

    「文化を映像で遺す」ということの意味

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